契約結婚はつたない恋の約束⁉︎

「おれには虫歯がないから、虫歯菌が移ることはない。それになな(・・)には、いつもおまえにするようながっつりしたキスをするわけやないから、大丈夫や。安心しろ」

稍の夫で、ななの父親である青山 智史(さとふみ)が、顔色一つ変えずに平然とそう言い切って、両手を差し出す。

「せやから、()よ……ななを返せ」

生まれてこの方、稍はいつも「こずえ」と読まれ、智史はいつも「ともし」とか「さとし」とか「ともふみ」とか読まれてきた。
せめて自分たちの子どもの名前は、だれからも間違えられずすんなり呼んでもらいたかった。
だから生まれてきた娘には「青山 なな」という名前を与えた。

「い…イヤやっ!今はあらへんかもしれへんけど、小学校のときは虫歯あったやんっ!
一緒に近所の歯医者さんへ通ってたやんっ!
……虫歯菌の保菌者やった智くんが、ななの口にチュウしようとする限り、母親として絶対に渡せへんからっ!」

悲壮感すら漂わせながら稍は我が子(なな)をぎゅっと抱きしめ、父親(智史)から遠ざけた。


……そんなことよりも、妹夫婦の前にもかかわらず『いつもおまえにするようながっつりしたキス』とかいう(くだり)を、とりあえずでも否定しなくていいのかよ?

栞に紹介されて以来、彼らの「仲の良さ」にはもうすっかり慣れたとはいえ、神宮寺はモバイルPCのキーを打ちながら思わずにいられなかった。

ふと視線を感じた神宮寺は、顔を上げた。
母親()に抱かれたなな(・・)がこちらに顔を向けていた。

口の周りに虫歯菌どころかあらゆる雑菌を死滅させそうなほど盛大にヨダレを(したた)らせて、意味不明な「だぁ…あぁ…ぅう…」という喃語(なんご)を発しながら手足をバタつかせ、神宮寺のモバイルPCをじーっと見つめている。

その顔立ちは……まさに「栞」だった。

だがそれは、自然の摂理であった。

栞と稍は同じ母を持つ姉妹で、栞と智史は同じ父を持つ兄妹だから、稍と智史の子であれば、両方の面影を併せ持つ栞にそっくりなのは、当然のことである。

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