契約結婚はつたない恋の約束⁉︎
「おねえちゃーん、お鍋、もうそろそろええ感じやねんけどー。呑水は並べといたえ」
ダイニングから栞の声が聞こえてきた。
「あ、栞ちゃん、ごめんやけど、お薬味用のお手塩も置いてくれる?」
稍は娘を左腕一本で抱え直し、パタパタとあわてて向かった。
栞は小皿にもみじおろしと青ネギを盛って、ダイニングテーブルに置いた。
「えらいごっついフグやなぁ。お兄さん、大分と奮発しはったんとちゃうん?」
栞が目を丸くする。今夜はてっちりなのだ。
野菜を盛った大皿に興味を持ったななが、思いっきり手を伸ばす。
「あぁ、それなぁ……社長からやねん」
ぷにゅっとしたななの指が、もうちょっとで野菜に触れる、というところで、稍が体勢を変えた。
ななから大皿が、ぐんと遠ざかった。
「それって、おねえちゃんたちが勤めたはる会社の社長さん?」
稍も智史も(株)ステーショナリーネットに在籍している。今や文具だけでなく生活用品全般に及ぶネット通販で、日本有数のシェアを誇る企業だ。
そもそも、新卒で入社した証券会社を辞めた稍が、その後派遣社員として訪れたこの会社で智史と「再会」したのが、二人が結婚するに至ったきっかけだった。
「……社内システムの構築が認められて『社長賞』をもらった。営業関連以外の部署では初らしい。税法上、物品でないとまずいらしいから『最高級天然とらふぐ』を希望した」
ダイニングに移動してきた智史が答えた。
日頃、ななの子育てにがんばる稍を喜ばせるためであるのはもちろんだが、栞を「てっちり」で我が家に誘き寄せるためでもあった。
「うっわーっ、すっげぇ肉厚のフグ!」
神宮寺もモバイルPCをシャットアウトしてやってきた。
「たっくん、せやろー?」
栞が夫に向かって満面の笑顔になる。
智史は眼鏡のレンズ越しに、神宮寺をぎろりと睨んだ。
……なんでこいつにまで、おれのとらふぐを食わせやなあかんねん?
二十数年ぶりに栞と再会したあの日、「この世でたった一人の妹」がすでに人妻になっていたときの衝撃が今でも忘れられない。
そのときも、不安げな顔の栞を支えるようにして神宮寺がいた。
稍も、実家の父も(そして、家を出た父母も)みな「有名作家」と結婚した栞を全面的に祝福したが、智史だけは違った。
……早い、栞。早すぎる。
しかも、作家なんていう不安定な職業のヤツなんかと。本当にこいつ、栞のことを一生食わしていけるねんやろな⁉︎