獣な次期国王はウブな新妻を溺愛する
「フィリックス様、聞いていらっしゃいますか?」


隣の男が、訝しげに訊いている。


そうだ、彼はフィリックスなのだ。この町の人間に慕われている、近寄りがたくも慈悲深い異国の商人。


だが、彼はどこからどう見てもあのカイルだ。アメリの元婚約者で、アメリを城から追い出した張本人。誰しもに忌み嫌われている、この国の王太子。






隣の男を無視したまま、カイルが混乱しているアメリの腕をカウンター越しに掴んだ。彼が男であることを知らしめているような握力に、驚きのあまり麻痺していたアメリの体に感覚が戻る。


「……お前、こんなところで何をしている?」


冷たい声だった。思いがけず、アメリの胸がぎゅっと軋む。


「……あなたこそ、どうしてこんなところに」


どうにか落ち着いた返事は出来た。状況はまだ呑み込めていないが、彼が自らの素性を隠しているのだけは分かったから、名前は伏せる。







カイルが全く言葉を返さないので、隣の男はどこかに行ってしまった。カイルはアメリの手を捕えたまま、離さない。それでも、お互いがお互いの質問に答えようとはしなかった。


「あなたは……」


先に口を開いたのは、アメリだった。


「どうして、偽りの名を使っているのです……?」


一つ、分かったことがある。町の人は、カイルの素顔を知らない。鎧兜を外すまで、城でもそうであったように。


カイルは、町の人々にとっては商人フィリックス以外の何者でもないのだ。


アメリは、自分の手首を握ったままのカイルの手に、反対側の手をそっと重ねた。


日々剣を握っている掌の皮は厚く、見掛けよりもごつごつしている。


(大きな手……)


指先で手の甲を撫でれば、カイルは目に見えて表情を強張らせ、弾かれたように手を離した。


「お前には、関係ない」


それきり瞳を伏せ黙りこんでしまったカイルは、その言葉通りもうアメリとは関わるつもりがないようだった。


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