拾った彼女が叫ぶから

「で、忘れ物ってなに?」

 今、マリアは強烈にお腹が空いていた。さすがにそんなことは口が裂けても言わないが、思考力は散漫も散漫、散り際だ。
 ルーファスの笑顔さえ霞んで見える。というか本当に霞んでいる。
 早く帰って食事にしたい。もうとっくに冷めただろう、豆と野菜で作ったスープと固いパンを思い返す。切ない。貴重な食事だったのに。

 昨日はあれから食事もとらずにこんこんと眠ってしまった。寝すぎて頭が痛い。失恋したにしてはいささかあっけないというか神経が図太いというか。起きたら既に昼前で、食欲も腹立たしいほどあった。
 が。
 朝食と昼食を兼ねた食事を取ろうかとしていた矢先に、王宮から先触れがきたのである。しかも、先触れが来て慌てて身支度をし始めたところで、先触れを出した当の本人が迎えに来た。これにはマリアも母親も唖然としてしまった。
 ルーファスは、そんな二人の表情にも動じず「お迎えに上がりました」と憎らしいほどに綺麗な笑みを浮かべる。
 結局、食べそびれた食事を前に指を噛みながら、マリアは王宮に連れて来られたというわけであった。

「まあ、その話は脇に置いといて」
「えっ、待って、戻してよ。急いでるのに」
「その前に、せっかくですから食事をご一緒にいかがですか? ちょうど昼時ですし、お腹が空きました」
「あ、食べなきゃ話にならないなら食べましょう。まだ時間はあるわ」
「くくっ……マリアさんって……」

 ルーファスがくしゃりと顔を崩した。
 なんせマリアはほとんど丸一日何も口にしていなかったので、ひもじいのである。これも今の生活ならではかもしれない。食事は何よりも尊い。断ろうなどとはちらとも思いつかなかった。
 考えてみれば随分と自分も淑女から遠のいてしまったものだ。
 それにしても、お腹をよじらせて笑うのはどうかと思う。そりゃあ王族からすれば、食事の言葉に食い付く女性など珍獣にも等しいだろうけど、ちょっとやり過ぎではないだろうか。必死で声は堪えてるみたいだけど、目が糸のように細くなっていた。てらいのない笑みは綺麗だとは思うけれど。
 それは食事中も変わらなかった。

「マリアさんがの食べっぷりは清々しいですね」
「……昨日ほとんど何も食べていなかったものだから」
「昨日は特に疲れましたしね」

 思わせ振りなルーファスにむせた。向かいに座る彼をジト目で睨み付けたけれど、愉快そうな表情は少しも崩れることがなかった。

「マリアさんは痩せの大食いてすね」
「どうなのかしら。毎日身体を動かしているからだと思うわ」
「何かスポーツでも?」
「ううん、そうじゃなくて」

 マリアは千切りかけのパンを皿に戻すと、ルーファスに向かって口の端を上げる。

「私、一通り何でもするのよ。簡単な料理なら自分で作れるし、美味しい紅茶を淹れるのも上手になったわ。ここのお茶よりは味は落ちるけど、二杯目でも美味しく淹れるコツはあるのよ。それに、お掃除も。暖炉の灰を集めたり、窓や床を磨き上げるのは気持ち良いわよ。あとは、お庭の手入れなんかもね。爪に土が入るから、人前に出るときには控えるけど」

 ルーファスが一瞬目を見開いた。紛れもない驚きの表情に、はたと気付く。何を得意になることがあるだろう。マリアは内心で自分を呪いたくなった。こういうことをするのは彼らとは別世界の人間だけで、むしろ彼らから見ればそんな労働に従事することは恥ずべきことである。

「あ……ごめんなさい。不快にさせてしまったわ。もちろん、ダンスも練習するのよ? ピアノも嗜んではいたし。絵を描くことも……どれも最近はほとんどしていないけれど。お裁縫も時々は……繕い物の方が多いわね。残念ながら刺繍は苦手なの。できることは生活するのに最低限のことだけ」

 言えば言うほど駄目なところをさらす羽目になってしまい、語尾は最初の勢いをすっかり失って、沈んだ声になってしまった。そうなのだ、本来ルーファスは決して馴れ馴れしい口をきいて良い相手ではない。許されたからついつい気安く接してしまっているが、どう考えてもこんな風に接して良いものではない。
 重くなった雰囲気を元に戻そうと、マリアは果実水に手を伸ばす。くっと呷ると柑橘系の爽やかな酸っぱさが喉を滑った。
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