拾った彼女が叫ぶから
 マリアはもう一度ぱん、とさっきよりは軽く頬を叩く。何なら頭も軽く振ってみる。それからえいやっと──これは心の中でだが──威勢の良いかけ声を掛けると、足を踏み出そうとした。

 けれど、踏み出そうとした足は不自然に固まった。中庭を囲む回廊の向こうから、家族に次いで近かった人が歩いてくるのを目にしたからだ。
 その人はカツカツと革靴の踵を鳴らしながらこちらへと近付き、中庭の噴水の脇で立ちすくんだマリアに気付いた。片眉を上げたところまでばっちり見えた。

「なぜ君がこんなところにいる? マリア」

 ルーファスよりも更に低いバリトンが、咎めるように投げつけられた。
 かつて自身を既婚者だと偽り、愛人関係を持ちかけた男──ゲイル・ガードナーの姿にマリアは目を丸くした。咄嗟に返す言葉が出て来ずに、声が詰まった。
 
「どうしてって……」
「ここは王宮の中だぞ。君が入っていい場所じゃない。早く帰りなさい」
「いえ、今私は王宮で、その……働いているんです」
「君が? なぜだ? 君はもう貴族じゃないだろう。それとも何か? ここの使用人にでもなったのか? 止めておきなさい。君がここにいたらいい笑い者だろう。いつまでもかつての生活に執着するようなことは止めておいた方がいい」
「いえ、ルーファス殿下のダンスの練習のお相手をさせていただいているのです」
「殿下の?」

 ゲイルが腕を組んで考え込んだ。何をそんなに眉間に皺を寄せる必要があるんだろう。

「あの、ゲイル……じゃなくてガードナー公は? どうしてここにいらっしゃるのですか?」
「あ、ああ……婚姻のことで打ち合せがあってね。そう言えば婚約発表のときには君にも世話になったな、助かったよ」

 マリアはぐっと胸に湧き上がったものを飲み込んだ。
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