拾った彼女が叫ぶから

苦い再会

 ──なんで受け入れちゃったんだろう。
 
 マリアは悶々としていた。もちろん、さっきのキスのことである。
 こういうとき、つくづく自分の流されやすさを呪いたくなる。最初にうっかり流されたせいで、すっかりゆるゆるになってしまっている。ついルーファスの顔──というか眩しい瞳──に引き寄せられてしまった。
 だめだだめだ。
 相手は王子殿下である、あれでも。王子のくせにあんなところでキスしてくるなんて軽い男だ、と自分のことは棚に上げてマリアは毒づいた。
 
 キスは、柔らかかった。
 ルーファスの唇が触れた瞬間、胸の奥の方からふわんと甘いものが膨らんだ。自分でも驚くくらいに、胸を満たしていった。
 信じられなかった。
 狼狽えるあまり、触れられた次の瞬間にはルーファスを突き飛ばしてしまった。
 そしてそのまま彼の顔も見られずに、マリアは踵を返してしまったのだ。
 
 戯れくらい、余裕顔であしらえなくてどうするの。乙女でもあるまいし。
 マリアは中庭を抜けながら空を仰いだ。千切れた綿のような雲がすっと流れていく。上空では風が強く吹いているようだ。
 きたるべき冬に向けて、暖かい服を用意しなければならない。父親の外套も新調したいし、母親のショールも少しへたりが見えてきたから何とかしよう。
 そうだ、自分が考えるべき事はそういうことだ。
 今日の食事、今月の収支、冬の支度、来年もつつましく穏やかに家族三人で生きていくためにどうするか。
 ルーファスの微笑みや、柔らかい声音や、伸ばされた指や触れた唇の感触なんかを思い返している場合ではない。
 
 そっと、人差し指を唇に当てる。やわく潰れる唇に、またさっきの彼を思い出してかあっと頬が熱くなった。思わず俯いてしまう。
 遠ざけようとしているそばから、残像が寄ってくる。マリアはそれを振り払うようにぱん、と両手で頬をはたいた。
 今日は去年のうちに燻製にしておいた豚肉を夕食に出そう。マッシュポテトを付け合わせにして、今日は特別に白パンを頂こう。ここのところライ麦パンが続いていたから、今日だけは少し奮発しよう。
 それで、さっきの出来事ごと、丸ごと束の間の夢にしてしまおう。
 そして明日になったら、現実に戻ろう。
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