拾った彼女が叫ぶから
 暗に、婚約発表の場をぶち壊しにしないでくれてありがとう、と言っているのだ。あの日のことを思い出して、ただでさえ重かった気分が更に沈んだ。これまではあまり思い出さずに済んでいたのに。
 結局はこの人の都合の良いように自分は動いただけだった。ああして大勢がいる場所でなら、マリアは逆上しても騒ぎを起こさないだろうと見抜かれていたんだろう。
 きゅっと奥歯を噛みしめる。平静な顔でゲイルを見れる自信がなかった。
 場所も場所であることだし、今更終わったことを蒸し返すつもりはないけれど。むしろもう、彼には会いたくない。
 暗澹とした気分でこの場をどう逃れるか考えていると、晴れ晴れとした表情のゲイルが彼女に一歩近付いた。

「丁度良い、君はその練習の相手とやらはもう終わりなのか? 私も今帰るところだ、送っていこう」
「え? いえ、いつも馬車を手配していただいているので」

 マリアはやんわりと彼の申し出を辞退した。
 王宮に上がる日にはいつも、ルーファスが行き帰りの馬車を手配してくれている。ついでに言えば、練習の間も本番と同様にドレスを着ていた方が良いということで、ドレスも貸してくれているのだ。そういえばまだ借りたドレスのままだった。
 それに送っていくと言われても、一体彼と何を話せばいいのかわからない。胸の中をちくちくと針で突かれるだけではないか。
 それこそ誰もいないところでなら、ゲイルに詰め寄ってしまいそうである。あの日でさえ胸に留めたのに、そんなみっともない真似はしたくない。大体、彼も婚約中の身で婚約者以外の女性と二人きりになること自体まずいのではないだろうか。
 見られる心配はないとでも思っているのか、それともマリアの今の立場なら、どうせ誰も真に受けないと高をくくっているのだろうか。

「手配してあるからといって王家の所有物を当然のように使うのは良くないな。うちのに乗っていきなさい」

 ああ──、そうだった。脱力する。
 ふと思った。ずっと、こうしてマリアに「こうするように」と示してくれるこの人が好きだったのだ。マリアはその通りに動けば良かった。それは、日々両親の代わりに家の中の一切を取りまとめていた彼女にとっては、とても楽ちんなことだったのだ。
 あの頃と変わらない言い方だな、と思った。
 懐かしさに、少しだけ目元が緩んだ。けれどそれは別れてからまだ二ヶ月ほどだというのに、ひどく遠い日の思い出のようだった。
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