最後の男(ひと)
「こういう時くらい遠慮すんなよ。病人は黙って言うこと聞いてろ」

士郎は、私の頭にふわりと手を置いてぽんぽんと優しく撫でる。髪はともかく、男に頭を撫でられるのは好きじゃないと知っているのに敢えてしてくるという事は、心配から諭す意味もあるのだろう。今度は素直に受け入れることにする。

「一香が眠ったら帰るから。鍵は明日来たときに返すし」

「分かった」

これは明日中に熱を下げないと、もし月曜日に会社を休むなんてことになったら士郎も休みかねない。歳の離れた弟がいるからか、士郎は少し過保護なところがある。それを居心地良いと感じたこともあったけれど、今はその好意をどう受け止めていいのか、立場上分からない。

さっとシャワーを浴びて、新しいパジャマに袖を通してベッドに横になる。土日は彼女のために使うと言っていたのに、セフレの部屋でセックスもせずに看病するなんて関係から逸脱している。早く士郎を彼女のもとへ返さねばと目を閉じても、日中散々眠ったせいかなかなか寝付けない。それでもようやくうとうとと仕掛けた頃遠くの方で物音が聞こえてきて、重くなりかけた瞼を押し開けることはできないから、耳だけは様子を探るように張りつめている。

「……一香、寝た?」

士郎の声が耳元で聞こえる。さっき乾かしてもらった髪を耳に掛けるように手ぐしで梳いている感触。目を開けて見れない分、五感が敏感に察知する。

「一香、愛してる。おやすみ」

最後にふわりとした柔らかい感触が唇を包み込んで、離れていく。その後で、ドアが閉まる音が小さく聞こえて無音になった。

今の、士郎だよね。一体何が起きた? 思考は巡るものの眠気には勝てなくて混沌としていく。

次に目が覚めたのは翌朝。体温は平熱に戻っていた。
士郎には、完全に熱も下がったから今日は大丈夫だとメールを送れば、「分かった。鍵は次行ったときに返す」と簡素な返事が返ってきただけだった。

あれが夢だったとしても現実に起きたことだとしても、私から士郎に対して何も言うことはない。私が取り急ぎ考えなくてはならないことは、町屋先輩との結婚をどうするか、ということのはずだから。

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