言い訳~blanc noir~
 帰り道は行きとは違い、息が詰まりそうなほど重たい空気が車内に立ち込めていた。

 生気を抜き取られたかのように憔悴した顔で助手席に座る沙織。その目はどこを見ているのか、焦点が定まっていないほど虚ろだった。

 沙織に対して優しい言葉の一つでも掛けてやりたい。そう思うくせに言葉が喉につかえ出てこない。


 理由はわかっていた。


 沙織の夫をこの目で見たからだ。


 どんなに腐ったような程度の低い男であっても沙織の夫である事には変わりなく、関係性を問われてしまえば「友人」と名乗る事しか出来ない。

 屈辱と惨めさ、そして、敗北感に似た思いが、和樹の胸の中でざわざわと蠢く。

 その思いが乱暴な感情を生む。口を開けば沙織をひどく痛めつけてしまいそうだった。


「……何か話してください」


 突然沙織が口を開いた。


「この状況で何を話せばいい?」


 そう言った自分の声があまりにも冷たくて驚いてしまった。

 視界の片隅で沙織が俯くのがわかった。そしてお互いに一言も口を開かないまま車は沙織のアパート前に到着した。

 しかし沙織はうな垂れたままシートベルトを外す様子もなく唇を固く結んでいた。

 和樹が煙草を口に咥える。普段なら気にも留めないライターの音が車内に響く。


「……今夜一緒にいちゃだめですか?」


 沈黙に耐え切れず沙織が乞うような目で和樹を見つめる。


「沙織にとって俺の存在ってなに?」


「え……?」


「あの男が家にいない時間を埋めるための男か? それともあの男が不倫してる事への当て付けか? 俺の惨めさや情けなさが沙織にわかるか? 沙織が何を考えているのか、何で未だにあの男に未練があるのか俺には理解が出来ない」


 これ以上堪える事が出来ず、喉の奥に纏わりついていた言葉が堰を切ったかのように飛び出してしまった。


 沙織が驚きに顔を強張らせている。


 ここまで沙織に対して感情をぶつける事は和樹にとって初めてだった。


 和樹は車を乱暴に走らせ自宅に向かった。車をおりると沙織が今にも泣き出しそうな表情を浮かべたまま後ろを歩く。

 沙織の事が好きだ。誰よりも何よりも大切に思っている。その気持ちに嘘も偽りもない。

 しかしその感情とは別に、自分の捨てきれない男としてのプライドが沙織をいたぶろうとする。

 あのくだらない男と和樹を天秤に乗せ、どっちが沙織にとってより得があるか、品定めをされているような気分だった。


―――沙織はそんな女じゃない。

―――いや、沙織はそういう女なんだ。


 相反する二つの思いがぶつかり合い火花を散らす。


 部屋に入る。羽織っていたテーラードジャケットを脱ぎ捨てソファに腰掛ける。煙草を咥え火をつける。煙を吐き出す。


 その一連の光景を沙織はドアの前に立ったまま哀しげな表情を浮かべ眺めていた。


 男にしては細くしなやかな指先で煙草を挟んだ和樹は、沙織を見上げた。


 沙織が戸惑ったように目を背ける。


「脱げよ」
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