好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
昨夜。
去年から一応付き合っていた私たちの誤解がとけて、私は初めて尚樹さんの彼女になった事実を実感していた。
あの後、張り詰めていた緊張がとけたせいか、盛大にお腹の音を鳴らしてしまった私を尚樹さんはいたずらっ子のような目で笑っていた。
私は羞恥で倒れそうだったけれど……!
「悩んでいて、食事をきちんと食べれない日が続いていたから」と苦しい言い訳をする私の頭を撫でて、尚樹さんは私を四人がけの食卓テーブルにつかせてくれた。
温かいカフェオレを入れてくれて、桜さんが持たせてくれたカツサンドを食べさせてくれる。尚樹さんは私の隣に座って甲斐甲斐しくお世話をしてくれた。
ほかに何か食べたいものはないか、何かデリバリーを頼もうか、買ってこようか、とそれはもう、まるで私が病人か何かのように甲斐甲斐しく。食事よりも近すぎる距離に羞恥と緊張で、セイさん特製のカツサンドの味がわからない。親切なセイさんはカツサンドのほかにいくつかのサンドイッチやポテトフライも入れてくれていて、お腹がいっぱいになった。
食事の後、濃紺の生地が鮮やかなソファに座った私に、尚樹さんは小さな白い紙袋を渡してくれた。

『何ですか?』
紙袋を両手で受取って、傍らに腰かけた尚樹さんを見つめる。
『ホワイトデーのプレゼント』
ニッコリと優しく微笑む尚樹さん。
『えっ!! も、もらえませんっ。私、バレンタインデーのチョコすら渡せていないのに……』
ブンブン首を横に振って拒否をする私を尚樹さんは焦げ茶色の綺麗な瞳でじっと見据える。
『いいの、俺がお前に贈りたいんだから。そもそも俺が不安にさせたから、お前のバレンタインデーを台無しにしたんだろ? ……俺からの贈り物は受けとりたくない?』
そんな子犬みたいな目は反則だ。大好きな人からの贈り物を受けとりたくないわけがない。
『ありがとうございます……』
それ以外何も言えずに、そっと紙袋から平たい白い箱を取り出す。濃紺のリボンをほどいて開いた箱の中には、渋めの赤い革のシンプルなパスケースがあった。それは私が普段愛用している財布と同じブランドのもの。
『な、尚樹さんっ、これ……!』
思わず顔を上げて尚樹さんを見上げた。
どうして知っているの? どうしてこれを選んでくれたの?
『気に入った?』
言葉にならずに涙ぐんで頷く私に、尚樹さんは優美に微笑む。
『……どうして……』 
ぽん、と私の頭を大きな手で優しく撫でる尚樹さん。
『莉歩に馴染みがあるもので、毎日使ってもらえるものを贈りたかったから』
ドクン……! 
壊れっぱなしの私の鼓動がまた狂い出す。
『あ、ありがとうございます! 大切にしますっ! あのっ、私も尚樹さんに色違いの同じパスケースを贈ってもいいですか? ……遅くなっちゃいましたが、バレンタインデーのプレゼント、として……あっ、チョコレートも渡したいです!』
私の言葉に尚樹さんが瞠目した。口元を手で覆う尚樹さんの耳が心なしか赤くなっている。
『え、お揃い、ってこと?』
コクン、とつられて赤くなり、頷く私に尚樹さんが破顔した。
『すげえ嬉しい!」
その少年のような笑顔にまた私は恋をした。
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