大江戸ロミオ&ジュリエット
◆◇ 二段目 ◇◆

◇北町組屋敷の場◇


「……それで、旦那さま、無論、即座に御奉行様にはお断りになられたのでござりまするな」

彦左衛門の妻である志代(しよ)が、金切り声で迫った。

北町奉行所は千代田のお城(江戸城)()の方角(現在の丸の内付近)にあるのだが、そこに勤める与力や同心たちが居を構えているのは少し離れた八丁堀(はっちょぼり)(現在の兜町・茅場町付近)の一角にある「北町」組屋敷で、そこに彦左衛門の家もあった。

与力に与えられている三百坪はゆうにある広い家にいるにもかかわらず、今は一つの座敷に家族四人が顔を突き合わせていた。

そして、だれもが明日をも知れぬ不安な心地を、惜しげもなくその面持ちに(あらわ)していた。

「……もしや、父上……その場でお引き受けになったのではあるまいな」

この家の跡取りの嫡男で、奉行所では若手の与力の登竜門である「当番方」を務める、佐久間(さくま) 帯刀(たてわき)が青い顔で問うた。今年二十四で、まだ妻は娶っていない。

「御奉行からの『下知(げじ)』であるぞ……だれが断れようか」

彦左衛門は苦渋の面持(おもも)ちで唸った。

その刹那、志代が鶏を()めたときのような、えも云われぬ声を上げて、畳に突っ伏した。

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