結婚しても恋をする

「普通、番号なんか渡さないでしょ。仲が良かったわけでもないなら」
「仲は……別に良くなかった……」

実家で飼っている猫の鈴蘭《すずらん》とソファーの上で戯れながら、テーブルの籠を覗き込みお菓子を摘んでいる妹の光梨《ひかり》に返事をする。

彼の好意を、気のせいだと思い込んでいた。いや、思い込まそうとしていた。
自意識過剰の自惚れだと。

淡いピンクの肉球をふにふにと揉みながら、天井を仰ぐ。


最初に違和感を抱いたのは数ヶ月前、彼の席の後方にあるキャビネットへ資料を取りに向かった時だった。
椅子を動かさないといけない程には通路が狭いわけでもなく、それも彼は電話中だったにもかかわらず、どういうわけか書庫の扉を開けてくれた瞬間、冷や汗が流れた。
何処となく身に覚えのあるあの感覚が、久方ぶりに呼び覚まされたのだ。

顔とかじゃないんだろうな……。
自らの中の上程度のルックスを鑑みたが、振り返ってみれば、他に思い当たる節はあった。
夜も眠れない程に日々の対応が辛く、毎晩寝酒をして身体を壊しそうだとぼやく彼に、何となしに返したのだ。

『なんで十川さんが身体を犠牲にしなきゃいけないんですか』


既婚者に恋なんて、不憫だ。
アラフォーの契約社員であることからも、不幸体質かもしれないなどと、全く大きなお世話でしかない想像を膨らませた。

かく言うわたしも、やりたいことを追い求める余りバイトや派遣で食い繋いだ20代を過ごし、手痛い恋愛だって幾つも経験した。わからないことはない。

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