続・マドンナブルー
そして、日曜日となった。
約束どおり、咲羅は長尾とともにボクシングの試合会場に来ていた。アマチュアとはいえ大きな大会らしく、観客席のほとんどが埋まっていた。
試合が始まると、選手と観客の熱気で気温が二、三度上昇したような感覚となった。はがねのように鍛え上げられた二つの体の激しく殴りあう様子に、咲羅は初め、薄目を開けては固く閉じを繰り返していた。しかし、そんなおどおどしていた彼女も、しだいに熱狂する観客の一人となっていった。
「門倉先生、怖くないですか?楽しめてます?」
一ラウンドが終わったときに、そう長尾が声をかけてきた。一方的な試合の最中で、片方の選手の流血がひどく、長尾は咲羅を気遣ったようだった。
「痛そうでちょっと怖いけど、とっても楽しんでます。どっちを応援するっていうのはないけど、やっぱり負けてるほうを応援しちゃいますよね。あの血流しているほうに頑張ってほしいな」
「僕も同感です。それって、日本人特有の感情らしいですよ。あっ、でも僕の友人の試合では、友人を応援してくれないと困りますよ」
「もちろんです」
咲羅は力をこめて言った。試合は次のラウンドを知らせる鐘が鳴り、ふたたび会場は熱狂の渦となった。
いくつか試合を観戦した後、ようやく長尾の友人の試合となった。
ウェルター級の試合で、津島大輔と紹介のアナウンスがなった。彼は挑戦者らしく、対戦するのはこの大会三連覇中の絶対王者のようだった。
試合は互角に進み、最終ラウンドへともつれ込んだが、疲労の現れた津島の一瞬の隙をついた、王者の強烈な右ストレートにより、津島はKO負けを喫した。
****
咲羅は、長尾の後について選手控え室に来ていた。試合に向けて、体を調整している者。すでに試合を終え、勝利に酔いしれる者。落胆する者。それらの熱気でむせそうだった。
長尾の友人の津島は、一人ひっそりとイスに座っていた。敗戦による哀愁が漂っていたが、友人の来訪に気づくと笑顔を浮かべた。
「よう来てたのか」
津島が言った。
「当たり前だろ」
と長尾が返した。
「悪かったな。せっかく来てくれたのに負けちまって」
「そんなことねーよ。いい試合だったぜ。惜しかったよなぁ、判定に持ち込めば、お前の勝因は充分あっただろうに」
「いや、負けは負けだよ。悔しいけど、実力差があったんだ」
二人のやり取りは、いかにも親しげだった。彼らの友情が大学生のときからであることを、咲羅は試合中長尾から聞いていた。また、親友と呼べる人物であるということも。しかし、咲羅は違和感を感じていた。今ここに彼女がいる理由は、長尾が津島に、恋人を連れて行くと見栄を張ったからである。はたして、親友に見栄を張ったりするだろうか。もっと自然体に付き合うのではないか。はたまた、恋人のふりをしてほしいというのは単なる口実で、自分は遠回しに求愛されているのだろうか。
彼らの会話に切れ目ができたとき、津島の視線は長尾を通りこし、長尾の背後で所在なさげにたたずんでいた咲羅に止まった。彼女は、まだ津島に紹介されていなかったのだ。はやく紹介してくれよと催促するように、津島は無言で咲羅にほほ笑みかけた。
津島の催促に気づいた長尾は、思い出したように「ああ・・・・・・」と言い、ちらっと横目で咲羅を見た。何か見下されているような、冷たさがあった。しかし、これは親しい恋人に向けるまなざしであると気づいた。そうなのだ。今日の咲羅は長尾の恋人なのだある。
「紹介するよ。彼女の咲羅だ」
いつもは門倉先生と呼ぶのに、いきなり呼び捨てにされて驚いた。しかも長尾は咲羅の背に腕を回し、自分のほうへ引き寄せた。そうなのだ。今日の咲羅は長尾の恋人である。これは普通のことなのだ。
咲羅は戸惑いを押し込み、必死で自然な笑顔を浮かべた。
「はじめまして門倉咲羅です」
「はじめまして。今日はせっかく来ていただいたのに負けてしまってすみません。どうせ、こいつに無理やり連れてこられたのでしょう?」
「いえ、とっても楽しかったです。初めてボクシングの試合を観戦したのですが、私も熱くなっちゃいました。ちょっとやってみたくもなりました」
それは咲羅の本心だった。長尾は満面の笑みとなる。
「それはよかった。長尾とは大学一年のときからの付き合いなんです。こいつは本当にいいやつです。ちょっと強引なところもありますが、どうか捨てないでやってください」
と津島は笑顔で言った。
約束どおり、咲羅は長尾とともにボクシングの試合会場に来ていた。アマチュアとはいえ大きな大会らしく、観客席のほとんどが埋まっていた。
試合が始まると、選手と観客の熱気で気温が二、三度上昇したような感覚となった。はがねのように鍛え上げられた二つの体の激しく殴りあう様子に、咲羅は初め、薄目を開けては固く閉じを繰り返していた。しかし、そんなおどおどしていた彼女も、しだいに熱狂する観客の一人となっていった。
「門倉先生、怖くないですか?楽しめてます?」
一ラウンドが終わったときに、そう長尾が声をかけてきた。一方的な試合の最中で、片方の選手の流血がひどく、長尾は咲羅を気遣ったようだった。
「痛そうでちょっと怖いけど、とっても楽しんでます。どっちを応援するっていうのはないけど、やっぱり負けてるほうを応援しちゃいますよね。あの血流しているほうに頑張ってほしいな」
「僕も同感です。それって、日本人特有の感情らしいですよ。あっ、でも僕の友人の試合では、友人を応援してくれないと困りますよ」
「もちろんです」
咲羅は力をこめて言った。試合は次のラウンドを知らせる鐘が鳴り、ふたたび会場は熱狂の渦となった。
いくつか試合を観戦した後、ようやく長尾の友人の試合となった。
ウェルター級の試合で、津島大輔と紹介のアナウンスがなった。彼は挑戦者らしく、対戦するのはこの大会三連覇中の絶対王者のようだった。
試合は互角に進み、最終ラウンドへともつれ込んだが、疲労の現れた津島の一瞬の隙をついた、王者の強烈な右ストレートにより、津島はKO負けを喫した。
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咲羅は、長尾の後について選手控え室に来ていた。試合に向けて、体を調整している者。すでに試合を終え、勝利に酔いしれる者。落胆する者。それらの熱気でむせそうだった。
長尾の友人の津島は、一人ひっそりとイスに座っていた。敗戦による哀愁が漂っていたが、友人の来訪に気づくと笑顔を浮かべた。
「よう来てたのか」
津島が言った。
「当たり前だろ」
と長尾が返した。
「悪かったな。せっかく来てくれたのに負けちまって」
「そんなことねーよ。いい試合だったぜ。惜しかったよなぁ、判定に持ち込めば、お前の勝因は充分あっただろうに」
「いや、負けは負けだよ。悔しいけど、実力差があったんだ」
二人のやり取りは、いかにも親しげだった。彼らの友情が大学生のときからであることを、咲羅は試合中長尾から聞いていた。また、親友と呼べる人物であるということも。しかし、咲羅は違和感を感じていた。今ここに彼女がいる理由は、長尾が津島に、恋人を連れて行くと見栄を張ったからである。はたして、親友に見栄を張ったりするだろうか。もっと自然体に付き合うのではないか。はたまた、恋人のふりをしてほしいというのは単なる口実で、自分は遠回しに求愛されているのだろうか。
彼らの会話に切れ目ができたとき、津島の視線は長尾を通りこし、長尾の背後で所在なさげにたたずんでいた咲羅に止まった。彼女は、まだ津島に紹介されていなかったのだ。はやく紹介してくれよと催促するように、津島は無言で咲羅にほほ笑みかけた。
津島の催促に気づいた長尾は、思い出したように「ああ・・・・・・」と言い、ちらっと横目で咲羅を見た。何か見下されているような、冷たさがあった。しかし、これは親しい恋人に向けるまなざしであると気づいた。そうなのだ。今日の咲羅は長尾の恋人なのだある。
「紹介するよ。彼女の咲羅だ」
いつもは門倉先生と呼ぶのに、いきなり呼び捨てにされて驚いた。しかも長尾は咲羅の背に腕を回し、自分のほうへ引き寄せた。そうなのだ。今日の咲羅は長尾の恋人である。これは普通のことなのだ。
咲羅は戸惑いを押し込み、必死で自然な笑顔を浮かべた。
「はじめまして門倉咲羅です」
「はじめまして。今日はせっかく来ていただいたのに負けてしまってすみません。どうせ、こいつに無理やり連れてこられたのでしょう?」
「いえ、とっても楽しかったです。初めてボクシングの試合を観戦したのですが、私も熱くなっちゃいました。ちょっとやってみたくもなりました」
それは咲羅の本心だった。長尾は満面の笑みとなる。
「それはよかった。長尾とは大学一年のときからの付き合いなんです。こいつは本当にいいやつです。ちょっと強引なところもありますが、どうか捨てないでやってください」
と津島は笑顔で言った。