続・マドンナブルー
 ボクシングの試合の帰り道、心の内を吐露し合った咲羅と長尾はこのまま別れる気にはなれず、流れるように居酒屋に向かった。酒を飲みながら、慰めあいたかった。話したいことも山ほどあった。

 二人はテーブルに向かい合って座っている。

「門倉先生、一つお聞きしたいのですが・・・・・・」

 一杯目のビールを飲み終えたころ、長尾が遠慮がちに切り出した。

「僕はあなたに気がないのに自分を誘ってくると、さっき言ってましたよね」
「はい」
「どのあたりで、僕があなたに気がないと気づいたんですか?」
「長尾先生と初めて食事をしたときのことです。私が頼んだホヤのパスタを味見したこと、覚えてますか?」
「はい。覚えてます。あれはおいしかったです」
「そのときの長尾先生が、あまりにも自然だったんです。私は間接キスみたいでドキドキしたんですけど、あなたは何も感じてないみたいで。私を異性として意識してないからなのか、ただあなたが女性慣れしているだけなのか、よくわからなかったです」
「そうだったんですね」
「もう誰かを利用したりするの、やめてくださいね。今日のようなカモフラージュの恋人役でしたら、私がいつでも引き受けますから」

 咲羅はそう釘を刺した。

「はい。もう二度としません。門倉先生は優しいですよね。かわいらしいですし。僕が女性を好きだったら、先生をほっとかないんだろうな」

 まだ酔うほど飲んでもいないのに、長尾は殺し文句を言い始めた。

「そんなお世辞いいです」

 さっぱりとあしらった。

「そんな女子力の高い門倉先生が、九年間も報われない恋をしてるなんてもったいないですね。片思いってことですか?それとも既婚者とか彼女がいるとか」

 今でも安藤のことを引きずっていることを、美奈子にすら話していない。長尾には話してもよいと思った。彼とは同じ境遇にいるからだろう。吐露することで、傷を舐め合いたかった。

 咲羅はビールを多めに一口飲み込んだ。ふわあっとしたホップの苦味と共に、安藤の姿が浮かび上がった。苦しいよりも、懐かしい気持ちだった。それは、いつか彼が自分を迎えに現れるのでは、という期待を断ち切れる心境に近づけた証だろう。

「私が高校生だったときの話です。私はある人に片思いしてました。想いを伝えましたが、あえなくふられました。それから間もなく、彼は日本を発つことになったんです。そのとき彼から手紙を渡されたんですが、その手紙に、私をずっと好きだったと書いてあったんです。彼とはそれっきり会ったことがないんですが、心の隅で彼を待つ気持ちがあって、いまだに断ち切れないんです」

 予想外の内容だったらしく、長尾はポカンとしていた。

「やだ、私って変ですよね。重いですよね。九年間、その人に会ったこともないし、今どこにいるかも分からないのに。すみません、今の話忘れてください」

 恥ずかしくなって、ごまかすように言った。

「ぜんぜん変でもないし、重くないです。人を好きになるって、自分ではコントロールできないし、どうしようもないですよね。九年間も想い続けてるなんて、よほど素敵な方だったんですね」
「はい・・・・・・」
「でも、ちょっとおかしくないですか?」
「はい?」
「あなたを好きだったのに、なぜその人はあなたをふったんですか?」
「まあ、立場とか色々ありまして・・・・・・」
「立場?ロミオとジュリエットみたいに敵対した家柄だったとか?」
「まあ、そういうわけではないんですが・・・・・・」

 長尾は酔ってきたのか、口調が尋問めいてきた。

「立場とか何とか、つまらないことに縛られてるような度量の小さい男なんて、待ってても迎えになんて来ませんよ。それに一度も連絡がないんですよね?門倉先生のこと、そんなに好きだったわけではないと思います。そんな男なんかさっさと忘れたほうがいいと思いますよ」

 長尾としては、咲羅を立ち直らせようとしてあえて厳しく言ったのだが、咲羅はひどく傷ついた。彼の言うとおりかもしれない。自分をこんなに苦しめている安藤は、ひどい男だと思う。でも、やっぱり彼を悪く言われたくない。

 咲羅は、思い立ったようにバックを自分のひざに引き寄せた。その中にある小さなポーチから折りたたまれた紙を取り出し、それを開いていった。彼女の両手に五,六枚に重なった紙片がおさまり、それを見つめる。安藤が咲羅に残した手紙である。こんなものをお守りのように、宝物のように持ち歩いているから前に進めないのだ。そんなことは分かっているが、でも、やっぱり常に安藤を感じていたかった。

 

 
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