続・マドンナブルー
マラソン大会当日となった。

 スタート地点のそばに広い運動場がある。そこが事務局兼、会場となっていた。場内には出店が立ち並び、仮装している選手もちらほら見受けられた。

 もっとシビアな雰囲気を想像していた咲羅は、いくらか気楽な気分となった。同僚の教師たちを探していたら、「先生こっちこっち!」と少し離れた場所から同僚に手を振られた。

 教師たちの群れに合流すると、多くの生徒たちの姿もあった。運動部員を中心に出場するようだが、その生徒たちの中に美術部の子も五、六人いた。美術教師は学校で咲羅一人なわけで、自動的に彼女が美術部の顧問となるわけだ。

 咲羅を見つけた美術部員たちが、彼女のもとに駆け寄ってきた。

「先生応援に来たよ。マラソン出るなんてすごいね」
「えーみんなわざわざ応援に来てくれたの?こりゃ棄権できないなー。かっこわるいところ見せられないぞ」

 そう言いながらも、嬉しくて顔がほころんだ。

「先生のウェア超かわいいね。似合うー」

 と、女子生徒が咲羅のウェアをほめた。黒地にピンクの差し色の入ったブランド品で、今日のために新調したのだ。せめて格好だけでも立派に、とついつい浪費してしまったのだった。

「でしょ?私、形から入るほうなの」
「いいなー私もジョギング始めようかな」

 と、お調子者的な存在の子が言った。

「あんたはかわいいランニングウェアを着たいだけでしょうが」

 そう突っこまれ、笑いが起こった。その後も咲羅は生徒たちと軽口をたたいた。生徒たちは、些細なことでもキャッキャと笑う。いきのいい魚がびちびちと跳ねて、きらきらと水しぶきを上げているようだった。彼女たちは輝いていた。若さではちきれそうな姿を、咲羅は眩しいものを見る目で眺めた。自分にも、かつてこんな頃があった。自分もまた輝けるのだろうかと、ふと感慨に浸った。

 レースの時間が近づいてきた。スタートラインに立った咲羅はひどく緊張していた。ちょうど彼女の背後にいた長尾が、ぽんぽんと彼女の肩をたたいた。

「門倉先生、肩に力はいりすぎですよ。もっとリラックスして。大丈夫ですよ走れますから。もし完走できなかったとしても、ここにたった時点であなたは輝き始めてるんです」

 長尾は咲羅の心を読んでいるかのようだった。

 レースがスタートした。多くのランナーの勢いにつられるように、咲羅も走り出しを意気込んでしまった。これが初マラソンの彼女には、ペース配分まで気を回す余裕はなかったのだ。そのため、みるみると体力を消耗してしまった。

 しかし、途中棄権をすることはなかった。幾度もくじけそうになったが、決して脚を止めなかった。おそらく、マラソンレースの特有の環境がそうさせたのだろう。つらいのは自分一人ではない。みんな同じレールの上で戦っているのだ。一人で走っているときには得られない、協調性がそこにあった。以前、長尾がマラソンは団体競技の要素が詰まっていると言っていたが、こういうことだったのかと咲羅は思った。

 そして何より心強かったのは、沿道からの止むことのない声援である。なんら特別でない自分に対し、見ず知らずの人々が応援してくれるのだ。咲羅は自分を取り囲む多くの人々を思い出していた。両親に親友の美奈子。そして長尾。みんな優しくしてくれる。気遣ってくれる。そのことに感謝していただろうか。孤独なんだと思い、殻に閉じこもってきた。しかし自分は孤独ではない。多くの人たちに支えられているのだと、強く感じた。長尾がランニングを勧めたことや、レースに出ることにこだわった理由は、咲羅にこのきらきらとした感覚を取り戻してほしいと思ったからに違いない。そのことが、咲羅の胸を温かく満たした。

 ゴールラインにアーチ状に掲げられた、“ゴール” という文字を咲羅の視界が捉えたとき、彼女の意識は朦朧としていた。

「門倉先生!後少しです!ゴールしたら、新しい世界が待ってます!」

 当然ながら、すでに完走した長尾は、沿道から咲羅に声援を送った。おぼつかない足取りで、ゴールへと近づいていく彼女と伴走するように長尾も走り、咲羅を励まし続けた。

 倒れこむようにしてゴールラインを越えた咲羅は、バランスを失い地面へと崩れていった。そんな彼女の体を、長尾が受け止めた。そして彼は咲羅をきつく抱きしめた。
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