続・マドンナブルー
それから、咲羅と安藤はセーヌ川沿いを歩いた。夜空にそびえる金色にライトアップされたエッフェル塔。川面に映し出された色とりどりの夜景。舟の通過による波紋。見るものすべてが新鮮で、美しかった。
先ほど安藤が、
「君は、結婚したのか」
と誤解して言ってから、笑顔に変わるまでの、ほんのわずかな時間。その寸分の間に、咲羅はすべてを悟った。一瞬ではあったが、彼はひどく落胆した表情をした。咲羅が既婚者であると思いこんだ彼は、確かにショックを受けていた。
「寒くない?」
「いいえ。ぜんぜん」
二人はほとんど言葉を交わさなかった。会話なんてなくても、指先一本触れることがなくても、隣に並んで歩いているだけで、呼吸の音を聞くだけで、お互いを感じられるような気がした。それが、なんともエロティックに思えた。
これといった目的地のなかった二人の足は、ゆっくりと夜のパリの街を歩いた後、気づくと咲羅のホテルの前に到着していた。
二人はホテルの門前で向かい合った。“ 一緒にいたい ” という言葉が二人ののどに引っかかっていた。
お互いに言い出せないまま、無言の時が流れた。ふいに玄関のガラス戸がギイと開いた。その音に二人は驚き、玄関を見た。ホテルの中から、腕を組んだ若いカップルが出て来る。彼らは楽しそうにくすくすと笑いながら咲羅たちのそばを通り過ぎていった。
安藤は、ふうとため息をつくと、咲羅を見た。
「今日は吉岡と会えて、本当によかった。君の元気そうな姿を見れて、本当に嬉しかったよ」
「私もです」
「こんなこと言ったら、君は迷惑だろうけど、言わずにはいられない。どうか言わせてほしい。僕は、今でも吉岡が好きだ」
この言葉をどんなに聞きたかったことか。嬉しすぎて、嬉しすぎて、咲羅は言葉が出なかった。
「ああ気持ち悪いこと言ってごめん。こんな歳の離れたおじさんにそんなこと言われてもだよな。せっかくの一人旅を邪魔してしまって本当にごめん。今の忘れてほしい」
安藤は、無言でいる咲羅を困らせてしまったとばかり思い、あわててそう言った。
「忘れられるわけないじゃないですか!」
込み上げてくるものを押しのけて、咲羅は叫んだ。
「今日画廊に行ったのは偶然じゃないんです。先生の個展のことは、日本で知ったんです。私は先生に会いたくて、その一心で来たんです。私は今でも、先生のことが大好きです」
平行線上を歩いてきた二人の軌跡が、長い時間をかけて、ようやく出会った。二人はお互いの存在を確かめ合うようにきつく抱き合った。
「本当に僕でいいのか。僕なんかで本当にいいのか。僕は若くないし、結婚もしてたんだ。それに、君が思っている以上に僕は弱い人間なんだ。そんな男を選んで本当にいいのか」
「先生がいい。先生じゃないとだめなんです。それに、先生は弱くない。私が暴漢に襲われているところを助けてくれたことがあったじゃないですか」
咲羅は安藤の腕の中で、夢見心地だった。
「ああそんなことがあったね。あのときは君に迫られて、ほんと困ったよ」
咲羅は当時を思い出してボッと赤くなった。
「あの頃は夢中だったんです。先生に振り向いてほしくて。でも全然振り向いてくれなくて、寂しいし、悔しいし、ん」
おしゃべりな咲羅の唇は、安藤の唇でふたをされた。いつくしむような、優しいキスだった。やがて二人の唇は離れ、
「振り向かせようなんてしなくたって、吉岡をずっと見てたよ。君を、抱きしめたくてしかたがなかった」
二人はふたたび熱い口づけを交わした。
ホテルになだれこみ、エレベーターで二人きりになると、当然のように抱き合った。途中一人のホテルマンが乗降したが、二人の体が離れることはなかった。
咲羅の部屋に到着すると、照明もつけないまま安藤は咲羅を抱き上げ、彼女をベッドまで運んでいった。ふんわりとしたベッドの上で、濃厚なキスを何度もした。彼らはお互いの服を引っつかんで脱がしていく。その間も、むさぼるように唇を求め合うのをやめなかった。
ベッドのそばに窓がある。金色に輝くエッフェル塔。先ほど二人が歩いた、幻想的な光できらめくセーヌ川。静寂な夜に息づく光の海が、一枚の絵画のように、窓枠の中にはめられていた。その光が、絡まりあう二つの体を包み込み、青白く滑らかな光を素肌が放っていた。
先ほど安藤が、
「君は、結婚したのか」
と誤解して言ってから、笑顔に変わるまでの、ほんのわずかな時間。その寸分の間に、咲羅はすべてを悟った。一瞬ではあったが、彼はひどく落胆した表情をした。咲羅が既婚者であると思いこんだ彼は、確かにショックを受けていた。
「寒くない?」
「いいえ。ぜんぜん」
二人はほとんど言葉を交わさなかった。会話なんてなくても、指先一本触れることがなくても、隣に並んで歩いているだけで、呼吸の音を聞くだけで、お互いを感じられるような気がした。それが、なんともエロティックに思えた。
これといった目的地のなかった二人の足は、ゆっくりと夜のパリの街を歩いた後、気づくと咲羅のホテルの前に到着していた。
二人はホテルの門前で向かい合った。“ 一緒にいたい ” という言葉が二人ののどに引っかかっていた。
お互いに言い出せないまま、無言の時が流れた。ふいに玄関のガラス戸がギイと開いた。その音に二人は驚き、玄関を見た。ホテルの中から、腕を組んだ若いカップルが出て来る。彼らは楽しそうにくすくすと笑いながら咲羅たちのそばを通り過ぎていった。
安藤は、ふうとため息をつくと、咲羅を見た。
「今日は吉岡と会えて、本当によかった。君の元気そうな姿を見れて、本当に嬉しかったよ」
「私もです」
「こんなこと言ったら、君は迷惑だろうけど、言わずにはいられない。どうか言わせてほしい。僕は、今でも吉岡が好きだ」
この言葉をどんなに聞きたかったことか。嬉しすぎて、嬉しすぎて、咲羅は言葉が出なかった。
「ああ気持ち悪いこと言ってごめん。こんな歳の離れたおじさんにそんなこと言われてもだよな。せっかくの一人旅を邪魔してしまって本当にごめん。今の忘れてほしい」
安藤は、無言でいる咲羅を困らせてしまったとばかり思い、あわててそう言った。
「忘れられるわけないじゃないですか!」
込み上げてくるものを押しのけて、咲羅は叫んだ。
「今日画廊に行ったのは偶然じゃないんです。先生の個展のことは、日本で知ったんです。私は先生に会いたくて、その一心で来たんです。私は今でも、先生のことが大好きです」
平行線上を歩いてきた二人の軌跡が、長い時間をかけて、ようやく出会った。二人はお互いの存在を確かめ合うようにきつく抱き合った。
「本当に僕でいいのか。僕なんかで本当にいいのか。僕は若くないし、結婚もしてたんだ。それに、君が思っている以上に僕は弱い人間なんだ。そんな男を選んで本当にいいのか」
「先生がいい。先生じゃないとだめなんです。それに、先生は弱くない。私が暴漢に襲われているところを助けてくれたことがあったじゃないですか」
咲羅は安藤の腕の中で、夢見心地だった。
「ああそんなことがあったね。あのときは君に迫られて、ほんと困ったよ」
咲羅は当時を思い出してボッと赤くなった。
「あの頃は夢中だったんです。先生に振り向いてほしくて。でも全然振り向いてくれなくて、寂しいし、悔しいし、ん」
おしゃべりな咲羅の唇は、安藤の唇でふたをされた。いつくしむような、優しいキスだった。やがて二人の唇は離れ、
「振り向かせようなんてしなくたって、吉岡をずっと見てたよ。君を、抱きしめたくてしかたがなかった」
二人はふたたび熱い口づけを交わした。
ホテルになだれこみ、エレベーターで二人きりになると、当然のように抱き合った。途中一人のホテルマンが乗降したが、二人の体が離れることはなかった。
咲羅の部屋に到着すると、照明もつけないまま安藤は咲羅を抱き上げ、彼女をベッドまで運んでいった。ふんわりとしたベッドの上で、濃厚なキスを何度もした。彼らはお互いの服を引っつかんで脱がしていく。その間も、むさぼるように唇を求め合うのをやめなかった。
ベッドのそばに窓がある。金色に輝くエッフェル塔。先ほど二人が歩いた、幻想的な光できらめくセーヌ川。静寂な夜に息づく光の海が、一枚の絵画のように、窓枠の中にはめられていた。その光が、絡まりあう二つの体を包み込み、青白く滑らかな光を素肌が放っていた。