続・マドンナブルー
時期は梅雨となった。咲羅は、広い職員室でたった一人パソコンに向かっていた。期末試験の用紙を作っているのである。美術といえども、筆記試験があるのだ。慣れない作業に手こずり、すっかり遅くなってしまった。他の教師たちは皆すでに帰宅してしまったようだ。

 一段落つき、帰り支度を始めた。支度を終え、ドア付近にある電気のスイッチをすべてオフにすると、暗闇になった。不気味で心細く、せいた気持ちで廊下に出ると、何かにぶつかり咲羅は跳ね返った。

「きゃあ!」という咲羅の悲鳴に、太い男の声が重なった。誰かにぶつかったようだ。

「すみません、もう皆さん帰られたのかと思って・・・・・・」

 咲羅はあわてて壁をさすり、電気のスイッチを探した。ようやく見つけ出し、職員室に電気がともった。

「いえ、僕のほうこそ前を見ず、すみませんでした」

 咲羅の目の前にいた人物は、よく日焼けした、精悍な男性だった。こんなとき、いい歳して男性経験の乏しい女のぎこちなさが、態度に出てしまう。緊張した咲羅は、この男性教師の名前をど忘れしてしまった。もともと挨拶をする程度の関わりあいしか持ってこなかったが、女性教師たちの間で彼の話題が尽きないため、なじみがあるのだ。先日の職場の飲み会でも、数人の独身女に囲まれた咲羅は、その教師が素敵だという話をさんざん聞かされたばかりだった。

< ええと、たしか数学の・・・・・・、たしか陸上部の・・・・・・、長尾先生だ >

「長尾先生!」

 咲羅は無意識に、叫ぶように彼の名を呼んでいた。彼の名を忘れていたことを、悟られるのを恐れる気持ちの表れだった。

 突然大声で名を呼ばれ、長尾は驚いたように咲羅を見た。墓穴を掘ったと思い、咲羅は赤面した。そんな彼女の心中を見透かしからかうように、長尾はいたずらっぽく笑った。

「はい。いかにも僕は長尾と申しますが、なんでしょう」
「あっ、いえ、別に・・・・・・」

 たじろぐ咲羅を、彼は面白そうに笑った。笑いながら、彼は自分の席へと向かった。てきぱきと帰り支度をしながらも、彼の意識は咲羅に注がれていた。

「門倉先生、学校はもう慣れましたか?」
「ええ、まあ・・・・・・」
「こんな時間まで仕事していらっしゃるなんて、仕事熱心なんですね」
「いえ、ただ試験問題を作るのがうまくできなくって。長尾先生こそ、こんな時間まで部活ですか?」
「いやあ、さすがにこんな時間まで生徒をしごいたら、保護者からクレームがきます。部活中に怪我をした子がおりまして、そいつを病院へ連れてって、自宅まで送り届けて今学校に戻ってきたところなんです」

 机の上に広がる書類をひとまとめにし、それをバッグの中に収める。粗雑に積まれた本を整える。散乱した文房具を引き出しに戻す。彼はそれらの動作を素早くしながらも、ドアの前にいて、今まさに帰ろうとしている咲羅から目を離さなかった。

 いつの間にか、長尾は咲羅のすぐ横にいた。そのため二人は自然と一緒に帰る形となった。
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