続・マドンナブルー
 ひと気のない、夜の校舎はしごく不気味だった。非常灯の弱々しい明かりがわずかにともるのみで、一寸先は闇である。梅雨特有の湿度のある重たい空気が、どんよりと流れていた。

 咲羅はおどおどと歩いた。しかし、自分の隣を歩くたくましい男性の存在が、とても心強かった。そして、先ほど彼が自分を足止めにしたわけは、自分の護衛役を買って出るためだったのではと思い当たり、この長尾晴彦という教師に対し、好意を抱き始めた。

 青白く光る白目の中を、咲羅の眼球はしきりにキョロキョロと動いた。その様子を、長尾は盗み見ていた。そして、声を出さずに笑った。

「門倉先生、この話知ってます?」
「は、はい!?」

 突然長尾に話しかけられ、おびえていた咲羅はびっくりし、頓狂な声を出してしまった。

「この学校、出るらしいですよ」
「えっ・・・・・・!?」

 長尾は、いかにもこれから怪談を言うのだというように声をひそめ、神妙な顔となった。

「十年ほど前のこんな雨の日、いじめを苦に、生徒が屋上から飛び降り自殺をはかったそうです。それ以来、雨の日の放課後になると、その自殺した生徒が校内をさまよい歩くそうです」
「またーそんな冗談やめてくださいよ」

 咲羅は精一杯平静を装っていた。初めて会話をするといっても過言ではない、この男性教師の前で、取り乱したくなかった。

「僕も見たことはないんですけど、陸上部の生徒が部活帰りに見たって言ってるんですよ」
「私、霊とかそういうの、信じない主義なんです」

 話を切り上げるように、ぴしゃりと言った。

 会話が途切れ、二人は無言のまま階段を下り、一階に着いた。そこから長い廊下の先に職員玄関がある。その廊下が、実際よりも長く感じられた。

 ふいに、「あれ・・・・・・?」と長尾が言い、足を止めた。暗闇の中を指差し、

「今の見ました?」
「はい?」
「何か、白いものがフーと動きませんでした?」

 この暗闇の出口である玄関は、まだ先である。咲羅は軽いパニックとなった。

「だからそんな話やめてください!」
「だってほら、あっ、また動いた」
「本当にやめてください!私、本当にそういうの無理なんです!」

 恐怖のあまり腰が抜け、しゃがみこんでしまった。長尾は、さすがに悪ふざけがすぎたと反省した。

「すみません!全部嘘です。全部僕の作り話です。本当にすみません!」

 咲羅は、いい歳して、いかにも嘘くさい怪談話で腰を抜かしている自分に羞恥を覚えた。すっと立ち上がり、言い訳を始めた。

「もちろん作り話だとは分かってましたよ。だけどこんなシチュエーションでそんな話されたら、誰だっておびえますよ。そもそも十年前に、この学校でそんな事件なんて起きていませんし」
「ひょっとして、門倉先生はこの学校の卒業生ですか?」
「はいそうですが」
 
 長尾の顔が、ぱっと華やいだ。

「奇遇です。実は、僕もなんです」

 こんな偶然、そんなにあることではない。遠い異国の地で、同郷者に出会ったような、そんな暖かみが二人の間に流れた。
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