続・マドンナブルー
その “ 近いうち ” は三日後に訪れた。
万が一、咲羅と長尾が二人で食事をする姿を生徒に目撃でもされては厄介である。そのため二人は、海沿いの道路を五,六キロ走り、うねうねとした小道に入り込んだ先に、ひっそりとたたずむイタリアンレストランで待ち合わせをした。知る人ぞ知る名店である。
食事をしながら、二人の会話は弾んだ。彼らの共通点である、高校時代の思い出話が主である。咲羅よりも教員生活の長い長尾は、当時の教師たちの近況に詳しかった。しかし、もちろん安藤の近況が語られるはずはない。何せ彼は、教員を辞めてパリへ消えたのだから。
彼らの食事をウェイトレスが運んできたとき、一旦会話が中断された。長尾は、言い出しにくい話題に触れるタイミングをうかがっていたのか、急に真面目な表情となった。
「実は、今日過去のアルバムを開いてみて門倉先生を探したんです」
校内の図書室に、開校時からの卒業アルバムがそろっているのだ。
「何度も門倉先生の名前を探したんですけど、どうしても見つけられませんでした。僕が聞いた卒業年、間違ってませんか?」
「ああ、私五年前に名字が変わったんですよ。旧姓は吉岡って言います」
何気なく答えたが、すぐに長尾の「えっ!!」という悲鳴が返ってきた。どうやら誤解を招いたようだ。
「違います違います!母の再婚で名字が変わったんです」
「なんだ驚いた」
「よく誤解されるんですよね。古い知り合いに会ったりすると特に」
「あせりましたよ。人妻を食事に誘ってしまったって」
「人妻だったらここに来てませんよ」
「そりゃそうですよね」
二人は笑った。
「ところで、門倉先生は面白いものを注文しましたね」
長尾の関心は、咲羅の食べている料理へと移った。 “ ホヤとバジルのぺペロンチーノ ” という聞きなれないものだった。ここは海岸に近い店である。魚介類のメニューが豊富なのだ。
長尾が咲羅の料理に触れたことにより、彼女は、長尾に警戒している自分に気づいた。正確に言えば、彼女の中に潜む安藤が、である。咲羅にとってホヤは、安藤を感じるものの一つなのだ。高校時代、咲羅は安藤に淡い恋心を抱いていた。そのさなかの美術部の合宿地で訪れた網地島で、初めてホヤを食べ、魅了された。また、その合宿で、彼が震災で妻子を失ったという話を打ち明けられたのだ。そのため、ホヤのしょっぱい磯の香りから、彼を思い出してしまう。
長尾と二人での食事でホヤ料理を頼んでしまったなんて、咲羅の中の安藤が、絶対に長尾に気を許すものかとでも主張しているようで、彼女はうんざりとした気持ちになった。
「ホヤって、あのでろんとしたオレンジ色のやつですよね」
長尾の咲羅のパスタへの関心は続いた。
「はい。あのホヤです」
「こんな洋風な食べ方があったんですね。生食でしか食べたことなかったな」
「火を通すとまたおいしいんです。ホヤが苦手な人でも食べやすくなるんですよ」
「へえ」
長尾はよほど気になるのか、まだホヤのパスタを見ている。そして、
「一口いただいてもいいですか?」
彼にそう言われ、戸惑った。異性の唾液の付いたフォークが自分の料理に入るのだ。そのことを、咲羅は生々しく想像した。彼とは、まだそんな仲ではないはずだ。しかし、咲羅は笑顔で承諾した。自分はまだ新米教師である。同僚と気まずくなるのを懸念したのだった。
長尾のフォークが伸びてきた。くるくるとパスタを巻き付けると、ぽいっと彼の口に入っていった。そして、味わうようにゆっくりと咀嚼する。その動作は、あまりに自然だった。唾液がどうのとか、間接キスになるのではないかとか、そんなことを考えていた自分がいやらしく思えた。彼は、純粋にホヤのパスタに関心があっただけで、下心など微塵もないというのが、その自然な動作からうかがえた。まるで、親しい女友達と食事しているようだ、と咲羅は思った。
「うん!確かにいけます。実は、僕はホヤがそんなに得意でなかったんです。磯の香りがマイルドになって、これなら好きです」
「よかったですね。苦手なものを克服できて」
「門倉先生、ホヤがお好きだということは、けっこういける口ですね?」
「どうでしょうか。そんなに強くはないですが、まあお酒は好きです」
「門倉先生が飲める人でよかった。今度飲みに行きましょう」
長尾は歯茎をのぞかせ、屈託のない笑顔を広げた。日焼けした肌との対比で、歯の輝きが際立った。同僚の女性教師たちと同じく、彼は、魅力的であると認めざるをえなかった。
先ほど、至極自然なこなしで咲羅のパスタを食べた行為は、彼は、単に女性慣れしているからなのだと咲羅は思い直した。そして、つまらないことで動揺した自分は、男慣れしてなさすぎるのだと突きつけられた気分だった。
万が一、咲羅と長尾が二人で食事をする姿を生徒に目撃でもされては厄介である。そのため二人は、海沿いの道路を五,六キロ走り、うねうねとした小道に入り込んだ先に、ひっそりとたたずむイタリアンレストランで待ち合わせをした。知る人ぞ知る名店である。
食事をしながら、二人の会話は弾んだ。彼らの共通点である、高校時代の思い出話が主である。咲羅よりも教員生活の長い長尾は、当時の教師たちの近況に詳しかった。しかし、もちろん安藤の近況が語られるはずはない。何せ彼は、教員を辞めてパリへ消えたのだから。
彼らの食事をウェイトレスが運んできたとき、一旦会話が中断された。長尾は、言い出しにくい話題に触れるタイミングをうかがっていたのか、急に真面目な表情となった。
「実は、今日過去のアルバムを開いてみて門倉先生を探したんです」
校内の図書室に、開校時からの卒業アルバムがそろっているのだ。
「何度も門倉先生の名前を探したんですけど、どうしても見つけられませんでした。僕が聞いた卒業年、間違ってませんか?」
「ああ、私五年前に名字が変わったんですよ。旧姓は吉岡って言います」
何気なく答えたが、すぐに長尾の「えっ!!」という悲鳴が返ってきた。どうやら誤解を招いたようだ。
「違います違います!母の再婚で名字が変わったんです」
「なんだ驚いた」
「よく誤解されるんですよね。古い知り合いに会ったりすると特に」
「あせりましたよ。人妻を食事に誘ってしまったって」
「人妻だったらここに来てませんよ」
「そりゃそうですよね」
二人は笑った。
「ところで、門倉先生は面白いものを注文しましたね」
長尾の関心は、咲羅の食べている料理へと移った。 “ ホヤとバジルのぺペロンチーノ ” という聞きなれないものだった。ここは海岸に近い店である。魚介類のメニューが豊富なのだ。
長尾が咲羅の料理に触れたことにより、彼女は、長尾に警戒している自分に気づいた。正確に言えば、彼女の中に潜む安藤が、である。咲羅にとってホヤは、安藤を感じるものの一つなのだ。高校時代、咲羅は安藤に淡い恋心を抱いていた。そのさなかの美術部の合宿地で訪れた網地島で、初めてホヤを食べ、魅了された。また、その合宿で、彼が震災で妻子を失ったという話を打ち明けられたのだ。そのため、ホヤのしょっぱい磯の香りから、彼を思い出してしまう。
長尾と二人での食事でホヤ料理を頼んでしまったなんて、咲羅の中の安藤が、絶対に長尾に気を許すものかとでも主張しているようで、彼女はうんざりとした気持ちになった。
「ホヤって、あのでろんとしたオレンジ色のやつですよね」
長尾の咲羅のパスタへの関心は続いた。
「はい。あのホヤです」
「こんな洋風な食べ方があったんですね。生食でしか食べたことなかったな」
「火を通すとまたおいしいんです。ホヤが苦手な人でも食べやすくなるんですよ」
「へえ」
長尾はよほど気になるのか、まだホヤのパスタを見ている。そして、
「一口いただいてもいいですか?」
彼にそう言われ、戸惑った。異性の唾液の付いたフォークが自分の料理に入るのだ。そのことを、咲羅は生々しく想像した。彼とは、まだそんな仲ではないはずだ。しかし、咲羅は笑顔で承諾した。自分はまだ新米教師である。同僚と気まずくなるのを懸念したのだった。
長尾のフォークが伸びてきた。くるくるとパスタを巻き付けると、ぽいっと彼の口に入っていった。そして、味わうようにゆっくりと咀嚼する。その動作は、あまりに自然だった。唾液がどうのとか、間接キスになるのではないかとか、そんなことを考えていた自分がいやらしく思えた。彼は、純粋にホヤのパスタに関心があっただけで、下心など微塵もないというのが、その自然な動作からうかがえた。まるで、親しい女友達と食事しているようだ、と咲羅は思った。
「うん!確かにいけます。実は、僕はホヤがそんなに得意でなかったんです。磯の香りがマイルドになって、これなら好きです」
「よかったですね。苦手なものを克服できて」
「門倉先生、ホヤがお好きだということは、けっこういける口ですね?」
「どうでしょうか。そんなに強くはないですが、まあお酒は好きです」
「門倉先生が飲める人でよかった。今度飲みに行きましょう」
長尾は歯茎をのぞかせ、屈託のない笑顔を広げた。日焼けした肌との対比で、歯の輝きが際立った。同僚の女性教師たちと同じく、彼は、魅力的であると認めざるをえなかった。
先ほど、至極自然なこなしで咲羅のパスタを食べた行為は、彼は、単に女性慣れしているからなのだと咲羅は思い直した。そして、つまらないことで動揺した自分は、男慣れしてなさすぎるのだと突きつけられた気分だった。