ホテル御曹司が甘くてイジワルです
「昔、僕がここで働き始めたばかりの頃、よくここに通ってくれるとても星が好きな子がいたんだ」
「へぇ……」
「体の弱い子でね、学校は休みがちだったんだけど、このプラネタリウムが大好きでよくここに通ってきてくれていて。スピカが大好きで、よく春の星空を解説してくれってせがまれてね」
「かわいい子だったんですか?」
昔を思い出す館長の表情が優しくて、ひやかすようにそんなことを聞いてみる。
「天真爛漫でとてもかわいい子だったけど、当時僕は二十代でその子はまだ中学生だよ。残念だけど夏目さんの期待するような話はなにもない。だけど、彼女が、『学校よりも家よりも、このプラネタリウムで星を眺めている時間が一番好き』って言ってくれるのが嬉しかったんだよね」
「そうなんですか……。今はその子どうしているんですか?」
私がたずねると、館長は小さく笑った。
「体が弱くてからかわれることが多かったらしくて、学校が合わないからともっと田舎へ引っ越してしまって、それきりだね」
「それきり?」
「彼女はただの常連さんで、連絡先も聞いてないからねぇ。ただ、前オーナーの社長が亡くなってここが閉館されるってなったときに、もし彼女がいつかここに帰ってきて、坂の上天球館が無くなっているのを見たら、きっとかなしむだろうなぁと思ってしまってね」
「そのために、ここを買い取ったんですか?」
館長の言葉に目を丸くすると、穏やかな笑顔が返ってきた。
「もちろん、この仕事が好きだったし星空を愛しているっていうのが一番の理由だけどね」
「……それにしたって、いい人すぎます」
本当に館長は、あきれるほどお人好しだ。
優しくて温厚でふところが広くて、星空みたいに包み込んでくれる大きな人。
「仕事での成功や、裕福な生活や、妻や子供のいる家庭。多くの人が思い描く幸せの条件はなにひとつ満たしていないけれど、僕は自分の人生に後悔はしていないし、これはこれで幸せだと思っているよ」
そう言って胸を張る館長に、微笑んでうなずいた。