冷徹社長は溺あま旦那様!? ママになっても丸ごと愛されています
"朝ごはんのあと、寝室でまたごろごろ"

そんなことをしたことのない子だったのに。起きた直後から活発で、昼寝もいやがる子だ。どうしてそんな予兆を見逃したのか。

自分が忙しかったから。恵が寝ていてくれたほうが楽だったからだ。


「恵……」


こちらに手を伸ばしたので、そっと抱き上げた。小さな身体が、信じられないくらいの熱を放っている。思うように動けないのがもどかしいんだろう、泣きながらぐずっている。

置いていくの?

まこちゃんの言うとおり、今すぐなにかが起こるような症状じゃないのはわかる。子どもがいれば、急な発熱は日常茶飯事だ。大騒ぎする気はない。病院につれていくのは私じゃなくてもできる。

だけど。

この状態の恵を人に任せて、出ていくの? 引っ越してから一度も病院にかかっていない。会ったこともない先生に恵を任せるの?

それでいいの?

恵についていてあげたい。そう思うのは異変に気づけず、普段も仕事でかまってやれない罪悪感からなの? それとも母として当然持っている責任感からなの? 純粋な愛情からなの?

どうするのが正解なの。私は自分の責任を果たしたい。でも今、私の成すべきことは二か所にあって、どちらもはできない。

"代わりがきかない"のは、親族会のほうだ。大事な顔見世の場。行かなかったら了どころか、お父さまの顔にも泥を塗る。

こういうとき、どうやっても考えはまとまらない。ふたつの世界は言語が違う。母親の義務と社会のロジックはまったく異なる文脈で成り立っていて、ふたつを比べてどっちが大事と語ることはできない。

自分が決めるしかない。

選びとるべきほうを。選びとりたいほうを。

それでなにを失うことになるかなんて、だれにもわからないし、私が失うものについて、関心を持つ人もいないだろう。

ずっとそうだった。

"両方は選べないよ、どちらか一方だ"と選択を迫られ、片方を捨ててきた。捨てたら"自分で選んだ道だよね"と泣くことも許されなかった。私の捨てたものは、はじめから分不相応だったものということになった。

やっぱり、これからもこうなのだ。
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