一生に一度の恋をしよう
翌日!
「困りますね」
マルグテ夫人がとびきり仏頂面で言う。
夜が明けた、謁見の間だった。
「真夜中に徘徊など、撃ち殺されても文句は言えないでしょう?」
「す、すみません」
私は土下座で謝った。
「時差なのか眠れず、着いた初日は町歩きもできなかったので。どうしても疼いてしまって」
何度もした言い訳を繰り返す。
「近隣諸国と比べれば我が国は安全ですが、日本と同じ感覚で出掛けられて、万が一があっても責任は取れませんよ」
「はい、海より深く反省してます」
安っぽい反省の弁を述べると、マルグテ夫人は溜息を吐く。
「お義母様」
恵里佳が助け舟を出してくれた。
「気づかなかった私も悪かったです。許してもらえませんか?」
マルグテ夫人は目も合わせない。
「母上」
今度はハルルート。
ハルルートは故ユルリッシュ皇太子の元に養子で出ているけれど、母上と呼んでいるんだ。
故ユルリッシュ皇太子の奥様は、皇太子がなくなってからすっかりふさぎ込んでいて、部屋からも出てこないって。そりゃ、皇太子が異国で変死体で見つかったなんて、ショック大きいかも。
「渚沙の言う通りです。よろしければ今日は恵里佳の両親も連れて市内観光に行こうと思いますが、許可を頂けますか?」
「あなたは式の準備が……」
「忙しいのは恵里佳だけですよ。僕は介添えみたいなものです、いてもいなくても大丈夫でしょう?」
結局マルグテ夫人は許可を出した。
「今夜は舞踏会です、その支度に間に合うように戻りなさい」
***
ハルルートはすぐに私と恵里佳の両親を連れ出してくれた。
車には運転手とハルルートと、恵里佳の両親と私。
ハルルートに夕べのことを知らせたい、もしかしたら恵里佳がまた誘拐されるかも知れないこと。
でも心配するといけないから、恵里佳の両親にはバレないように、運転手にも聞こえないように……なんてのは全く不可能で、結局私はハルルートの耳に入れる機会を得られないまま、夜の舞踏会となってしまった。
***
昨日とは違う振袖を来て出席する。
「恵里佳様のご学友様ですね」
そう言って、何人かの殿方にダンスに誘われた。
いや、さ。
一応練習はしたのよ、スクール通って。舞踏会があるからとは聞いたので。
ところがどっこい、なんとか足運びを覚えましたレベルでさ。
フロアを一周するより前に解放されるを、三人の殿方と踊った後からは、私は『壁の花』となっておりました。
ああ、現実はシビアだ。やっぱ下手なヤツとは踊りたくないんだな。
私の必死の顔がいけなかったのかな。
和服の所為と言い訳しておこうかな。
まあいいけど。大人しく見てまーす。
と、その時、対面の壁側に置かれた椅子に腰掛けている男性が目に入った。
髪も整えられて、雰囲気が違く見えるけど。
(夕べの……!)
私の口のガムテープを剥がしてくれた、あの男性だった。
夕べはジーンズにTシャツ姿だったけど、今は金の刺繍が施された深い紫色のフロック・コートに身を包んでいて、いかにも上流階級の男性と判る。
薄暗い中の、誘拐されたと言う状況下でも不謹慎にも「かっこいい」と思った容姿は、明るい中で見るとやはり際立っていた。
ヨーロッパ系のすっと通った鼻筋、切れ長の目元、色白と言っていい肌、どれをとってもかっこいいなあ……。
隣に立つのは夕べもいた浅黒い肌の男性だった、やはり着ているフロック・コートは、黒い軍服風だった。
浅黒い肌は、アフリカ系ではなく、オリエント系だと判る顔だちだ。こちらもハンサムだわ。
その雰囲気から、二人とも只者でないことは判った。
(どうしてここに……!?)
その時、フロアをつまらなそうに眺めていた彼の視線が、私で止まった。
驚きもしない、私だと判っていたようだ。
私はそれが何故か嬉しくて、思わず笑顔になって一歩踏み出そうした時。
すぐに彼の表情に気付いた、微かにクビを横に振ったのだ、悲しげな瞳で「来るな」と言っていた。
どうして……疑問に思ったけれど、そうか、私、間違いでも誘拐されたんだ、彼は犯人?とにかく関わってはいけないんだと判る。
できれば見ていたいけど……それくらい素敵な男性だった。でも駄目だと自分を戒めて、一生懸命違うところを見て時間を過ごした。
「ハルルート陛下、恵里佳妃、是非ダンスのご披露を」
役人の一人が声を上げた。
「恵里佳、お付き合い願えるかな?」
そう言ってハルルートは手を差し伸べた、恵里佳はそれに笑顔で手を乗せ、立ち上がる。
三段ある階段を優雅に降りてきて、二人きりでフロアで踊り始めた。
はあ……私は見とれた。
親友が本当に王妃様になると判る。
立派なドレスを着て、みんなの視線を浴びながら、堂々と軽やかなステップを踏んでいる。
まるで映画のワンシーンだ。
自信に満ちた笑顔だって素敵。きっと恵里佳は王妃になる為に生まれたんだ。
二人が踊り出して間も無く、彼が広間から出ていくのを見た、もう帰るんだ……黒のフロック・コートの人も静かに出て行く。
思わずその背中に「またね」と挨拶をしていた。
そして。
二人の後ろ姿を見ていると、すぐ後を別の金髪の男が追いかけるように出て行った。
その男も目立っていた、なんとなく気になって視界に収めていたけれど。その人もダンスの輪に入ることなく、ずっと壁際に立っていたのだ。彼から二メートルほど離れた所で。にこりともせず誰とも会話をする事もなく、鋭い目付きで……。