一生に一度の恋をしよう
***
私も暫くして辞した。
部屋に戻り帯を解く、それだけで開放感だ。
「あー、疲れたーっ!」
叫んでソファに寝ころんだ。
宮殿生活に慣れない英語だらけの生活、それに締め付ける帯に、しずしずと歩かなければならない着物の裾、やはり疲れはマックスだ。
「それに、監視でもされてるみたいな目!」
思わず日本語で言った。
マルグテ夫人だ。
私に限らずだけど、常に玉座の隣から鋭い視線を皆に浴びせていた。
ちょっと隙を見せたら、すんごい怒られそう。
寝ころんだまま、心の中で文句を言っていた。
疲れもあったのか。私はそのまま少しうとうとしたらしい。
トントントン、と規則正しく窓が鳴って目を覚ました。
「あ、やば……シワになる……」
顔じゃない、着物だよ。まだ振袖のままだったので慌てて体を起こす。
また、トントントン。
その時は何か当たっているのかな、くらいだった。
でもまたすぐに、トントントン。
正体を探ろうと分厚いカーテンを開けた。
と、驚いた!
夕べの彼が……!
窓の外は広いバルコニーだ、その窓際にフロック・コートだけ脱いだ姿で立っていた。
私は疑いもせず、すぐに観音開きの窓を開けていた。
「どうやってここまで……! 危なくないの?」
「俺の部屋はこの二つ下だ。城の中は廊下や人が集まる広間以外はカメラはない、筈だ」
下? 下ってことは、結婚式に呼ばれた招待客なの? でも城内の事情にも明るい……?
「あなた、誰……!?」
「シルヴァン・エダム・フィアロン」
名前を聞いて、わたしは何度も反芻した。
だって。それは。
「フィアロン……って、あの、あなたは王家の人……?」
「ああ。ハルルート陛下は、従兄弟に当たる」
それは、それは……一体何が起こっているのだろう???
王家の人に誘拐された事実が理解不能だ。
私は彼を招き入れていた。
彼は私を上から下まで見て、「ふうん」と呟く。
「日本の民族衣装か、綺麗だな」
言われて、私は顔が熱くなった。
「あ、でももう帯は解いてしまって……あまり見ないで」
博多帯だけで締めた振袖姿は、なんかちょっと、下着姿に近い気分……。
「ああ、広間では大きなベルトをしていたな」
それがソファに放り出されているのを見て、彼は「ん?」と呟いた。
「綺麗な形をしていたが……元はこんな布状なのか」
「そうなの、これをね、結び方で形を作るの」
「見てみたい」
「え、あ、ん……」
半分裸の気分も嫌なので、私は素直に帯を手にした。
しゅるしゅると結ぶ姿を、シルヴァンはじっと見ている……少し恥ずかしい。
一応は練習の成果を見せる。さすがにきっちり結ぶのは時間が惜しい、体に二重に巻いて、肩に掛けていたタレを背後に落として帯締めで乱雑にまとめた。
「すんごい適当だけど。とりあえず、出来上がり」
「凄いな」
シルヴァンは心から感心しているようだった。
「一枚の布から、こんな立体になるとは。芸術の域だ」
褒められて、日本が褒められたような気がして少し誇らしかった。母が「とにかく覚えろ」と言ったのがなんとなく理解できる。
「あの、どうして窓から……」
私が聞くと、彼は溜息を吐いた。
「俺は部屋から自由に出る事を禁止されている。いや、表立っては禁止はされていないが、一歩出れば、警護と言う名の監視がつく。それでこの部屋に来る訳にはいかないから」
さっきの……広間で少し離れたところにいた金髪の男の姿を思い出した。
「部屋はカルロが調べてくれた」
「カルロ?」
「昨夜もいた、背の高い男だ。今は俺の身代わりで部屋にこもっている」
ああ、浅黒い肌の?
「昨夜の事を、謝らなくてはと思って」
「私も気にしてたの。みんな無事に逃げられた?」
聞くと彼は優しい笑みで微笑んだ。
「お陰様で、みな無事だ」
「よかった」
「お前こそ、何か咎はなかったか?」
「そりゃあもう、マルグテ夫人の雷が」
言うと彼はおかしそうに笑った。
「そりゃ怖そうだ」
「でしょ?」
二人でひとしきり笑ってから、私は彼にソファを勧めた、私も向かいのソファに座る、帯があるので、浅く。
「ねえ、どうしてあんな事したの? 恵里佳に恨みが?」
「とんでもない」
シルヴァンは肩を竦めた。
「ただ、ハルルートとの橋渡しをして欲しかっただけだ」
「橋渡し?」
「俺の父は、エタンだ。今、無実の罪で投獄されている、俺は会うことも許されていない、その父に伝言してもらう為に」
「投獄!? エタンって、前国王の次男の方だよね? 大病で治療中と聞いてたけど……!?」
「それは対外的に流布されている事だ。実際には西の塔の地下に幽閉されている。次期国王を殺した罪で」
「ええええ!?」
ここで。
セレツィア王国の系譜を説明しよう。
前国王たるサンハデス王は一昨年に逝去。
サンハデス王には三人の子供がいた、長男のユルリッシュ、次男のエタン、そしてハルルート王の母になるマルグテ。
末子のマルグテ夫人は、アメリカのホテル王と呼ばれる実業家と恋愛結婚し、二男一女を設けていた。
王の死後、暫くはユルリッシュが執務を行なっていたが、サンハデス王の一年の喪が明ける頃、謎の死を遂げる。
アメリカ・ニューヨークのスラム街で、変死体で発見された。
同じ頃、エタンも倒れ、隔離病棟に入院したと言う。病名などは公表されていないが面会謝絶だと発表されている。
次期王として自国民にも諸外国にも信頼が厚かったユルリッシュ。でもエタンとの確執がまことしやかに囁かれ、ユルリッシュの死にエタンの関与を疑う声まで上がる。
騒ぎにマルグテはセレツィアに戻り、王の代行をする。それは立派な『王』だったと言う。
しかしどんなに立派でも、セレツィアの憲法には女性は王位に就けないとある。
二人の王位継承者を一度になくし、皇太子には娘が三人で、エタンには一男一女がいたが。
マルグテは『代王』として実権を握ると、嫁ぎ先から長男のハルルートを呼び寄せ、亡くなったユルリッシュ皇太子の奥方と養子縁組させた上で、王位に就かせた。それは半年前の事だった。
つまり。
「あなた、世が世なら、皇太子、なのね?」
「まあな。王位継承権は3位だった」
ハルルートがいなければ、王様になっていたほどの人、だ。
「お父様を、助け出したいの?」
「ああ、確かに。初めはそうしたかった」
落とした視線淋しげだった。
「当初の目的は、恵里佳妃と交換で父の冤罪を訴えたかった。でも、父はそれを望んでいない。父は言葉を残した、どんな暴君でも独裁者でも、民を思い国を思う政を行うならば、その者が君主だと。今回の過ちはきっと父の本意だ、父はあそこから出たいとは思っていないと、そう理解した」
「そんな……牢に入ってて、快適な訳が……」
私も暫くして辞した。
部屋に戻り帯を解く、それだけで開放感だ。
「あー、疲れたーっ!」
叫んでソファに寝ころんだ。
宮殿生活に慣れない英語だらけの生活、それに締め付ける帯に、しずしずと歩かなければならない着物の裾、やはり疲れはマックスだ。
「それに、監視でもされてるみたいな目!」
思わず日本語で言った。
マルグテ夫人だ。
私に限らずだけど、常に玉座の隣から鋭い視線を皆に浴びせていた。
ちょっと隙を見せたら、すんごい怒られそう。
寝ころんだまま、心の中で文句を言っていた。
疲れもあったのか。私はそのまま少しうとうとしたらしい。
トントントン、と規則正しく窓が鳴って目を覚ました。
「あ、やば……シワになる……」
顔じゃない、着物だよ。まだ振袖のままだったので慌てて体を起こす。
また、トントントン。
その時は何か当たっているのかな、くらいだった。
でもまたすぐに、トントントン。
正体を探ろうと分厚いカーテンを開けた。
と、驚いた!
夕べの彼が……!
窓の外は広いバルコニーだ、その窓際にフロック・コートだけ脱いだ姿で立っていた。
私は疑いもせず、すぐに観音開きの窓を開けていた。
「どうやってここまで……! 危なくないの?」
「俺の部屋はこの二つ下だ。城の中は廊下や人が集まる広間以外はカメラはない、筈だ」
下? 下ってことは、結婚式に呼ばれた招待客なの? でも城内の事情にも明るい……?
「あなた、誰……!?」
「シルヴァン・エダム・フィアロン」
名前を聞いて、わたしは何度も反芻した。
だって。それは。
「フィアロン……って、あの、あなたは王家の人……?」
「ああ。ハルルート陛下は、従兄弟に当たる」
それは、それは……一体何が起こっているのだろう???
王家の人に誘拐された事実が理解不能だ。
私は彼を招き入れていた。
彼は私を上から下まで見て、「ふうん」と呟く。
「日本の民族衣装か、綺麗だな」
言われて、私は顔が熱くなった。
「あ、でももう帯は解いてしまって……あまり見ないで」
博多帯だけで締めた振袖姿は、なんかちょっと、下着姿に近い気分……。
「ああ、広間では大きなベルトをしていたな」
それがソファに放り出されているのを見て、彼は「ん?」と呟いた。
「綺麗な形をしていたが……元はこんな布状なのか」
「そうなの、これをね、結び方で形を作るの」
「見てみたい」
「え、あ、ん……」
半分裸の気分も嫌なので、私は素直に帯を手にした。
しゅるしゅると結ぶ姿を、シルヴァンはじっと見ている……少し恥ずかしい。
一応は練習の成果を見せる。さすがにきっちり結ぶのは時間が惜しい、体に二重に巻いて、肩に掛けていたタレを背後に落として帯締めで乱雑にまとめた。
「すんごい適当だけど。とりあえず、出来上がり」
「凄いな」
シルヴァンは心から感心しているようだった。
「一枚の布から、こんな立体になるとは。芸術の域だ」
褒められて、日本が褒められたような気がして少し誇らしかった。母が「とにかく覚えろ」と言ったのがなんとなく理解できる。
「あの、どうして窓から……」
私が聞くと、彼は溜息を吐いた。
「俺は部屋から自由に出る事を禁止されている。いや、表立っては禁止はされていないが、一歩出れば、警護と言う名の監視がつく。それでこの部屋に来る訳にはいかないから」
さっきの……広間で少し離れたところにいた金髪の男の姿を思い出した。
「部屋はカルロが調べてくれた」
「カルロ?」
「昨夜もいた、背の高い男だ。今は俺の身代わりで部屋にこもっている」
ああ、浅黒い肌の?
「昨夜の事を、謝らなくてはと思って」
「私も気にしてたの。みんな無事に逃げられた?」
聞くと彼は優しい笑みで微笑んだ。
「お陰様で、みな無事だ」
「よかった」
「お前こそ、何か咎はなかったか?」
「そりゃあもう、マルグテ夫人の雷が」
言うと彼はおかしそうに笑った。
「そりゃ怖そうだ」
「でしょ?」
二人でひとしきり笑ってから、私は彼にソファを勧めた、私も向かいのソファに座る、帯があるので、浅く。
「ねえ、どうしてあんな事したの? 恵里佳に恨みが?」
「とんでもない」
シルヴァンは肩を竦めた。
「ただ、ハルルートとの橋渡しをして欲しかっただけだ」
「橋渡し?」
「俺の父は、エタンだ。今、無実の罪で投獄されている、俺は会うことも許されていない、その父に伝言してもらう為に」
「投獄!? エタンって、前国王の次男の方だよね? 大病で治療中と聞いてたけど……!?」
「それは対外的に流布されている事だ。実際には西の塔の地下に幽閉されている。次期国王を殺した罪で」
「ええええ!?」
ここで。
セレツィア王国の系譜を説明しよう。
前国王たるサンハデス王は一昨年に逝去。
サンハデス王には三人の子供がいた、長男のユルリッシュ、次男のエタン、そしてハルルート王の母になるマルグテ。
末子のマルグテ夫人は、アメリカのホテル王と呼ばれる実業家と恋愛結婚し、二男一女を設けていた。
王の死後、暫くはユルリッシュが執務を行なっていたが、サンハデス王の一年の喪が明ける頃、謎の死を遂げる。
アメリカ・ニューヨークのスラム街で、変死体で発見された。
同じ頃、エタンも倒れ、隔離病棟に入院したと言う。病名などは公表されていないが面会謝絶だと発表されている。
次期王として自国民にも諸外国にも信頼が厚かったユルリッシュ。でもエタンとの確執がまことしやかに囁かれ、ユルリッシュの死にエタンの関与を疑う声まで上がる。
騒ぎにマルグテはセレツィアに戻り、王の代行をする。それは立派な『王』だったと言う。
しかしどんなに立派でも、セレツィアの憲法には女性は王位に就けないとある。
二人の王位継承者を一度になくし、皇太子には娘が三人で、エタンには一男一女がいたが。
マルグテは『代王』として実権を握ると、嫁ぎ先から長男のハルルートを呼び寄せ、亡くなったユルリッシュ皇太子の奥方と養子縁組させた上で、王位に就かせた。それは半年前の事だった。
つまり。
「あなた、世が世なら、皇太子、なのね?」
「まあな。王位継承権は3位だった」
ハルルートがいなければ、王様になっていたほどの人、だ。
「お父様を、助け出したいの?」
「ああ、確かに。初めはそうしたかった」
落とした視線淋しげだった。
「当初の目的は、恵里佳妃と交換で父の冤罪を訴えたかった。でも、父はそれを望んでいない。父は言葉を残した、どんな暴君でも独裁者でも、民を思い国を思う政を行うならば、その者が君主だと。今回の過ちはきっと父の本意だ、父はあそこから出たいとは思っていないと、そう理解した」
「そんな……牢に入ってて、快適な訳が……」