記憶がどうであれ

9話

 元主人からの告白はお断りしたのだけど、余程自分に自信があったのか、
「付き合ってはいないんだろ? 告白は?」
「恋人がいるって? じゃあ気持ちに区切りがついたら俺を結婚相手候補としてみてくれないか」
 と言われた。
 交際もしないうちに結婚を匂わせるなんて…結婚詐欺だろうかとさえ疑った。
 ポロリとその事を口にしてしまい。
「結婚詐欺!? 俺がお前の金目当てって? まさかだろ」
 と笑われた。
 確かに私の数倍の月収を稼いでいると聞いていたし、それが嘘ではないのだろうと思う服装や店選びだった。

 それからしばらくして店長が結婚した。
「娘に、『父親と思えないかもしれないけど、お母さんのパートナーとして認めて欲しい。家族という大きなくくりで仲間に入れて欲しい』って言ったら、『わかった』っていい返事貰えたんだ」
 と、それはそれは嬉しそうだった。
 店長の結婚が辛くなかったと言ったら嘘になるし、奥さんになられた方を羨ましいと思ってしまったのは事実。
 だけど、出会うのが遅かった…と泣きついて告白するような厚かましさは持ち合わせていない。
 人の恋人を横取りしたいとは思えなかったし、私に靡くような人でも無いと知っていた。
 だから、私は自分の恋心に蓋をして、店長を忘れる様に元主人と会う回数を増やした。

 気持ちの区切りがいつつくのかは分からなかったけれど、元主人以外との出会いを探すことはなんだか結婚まで考えてくれている元主人に悪いと思ってしまっていた。
 もしかしたら、私は結婚相手として元主人は条件が良いと思っていたかも…
 結婚相手としての条件の良さで会い続けたのかもしれない。

 一緒に居る事が当たり前になった頃、条件とかそんな事は抜きで、このまま一生側で生きて行くのもいいのではないかと思い始めた。
 初めて会った時とは違い、元主人は周りへの気遣いを大切にする人だと感じる事が多くなったし、傲慢な態度や言葉を言わなくなったと気づいたから。
 私の『素敵』と思う人物像に近づこうとしてくれているのか、心根は元々そういう人だったのか。
明るく笑ってくれると、私まで明るくなれた。

 お付き合いを始めると、元主人はすぐに結婚を意識した事ばかりを口にした。
 両親に挨拶したいと言われた時、疎遠になっている事を伝えた。
「こんな真っ直ぐな人を育てたご両親はどんな人かなって思ってたんだけど…会えないのは残念だな」
 と言われた時、何故か泣けた。
 私は真っ直ぐだろうか。 ただの自己満足人間ではないだろうか。
 曲がった事が大嫌いと言うのは簡単だけど、曲がらなければ円にはならずポッキリと折れてしまう…
 人の心もそれと同じで私の心はポッキリと折れて、修復不可能になった。
「私…両親に愛されていないって思って…ずっと寂しかった。
でも、寂しいって言えなかった…言っていれば違ったのかもしれない…」
 元主人は私を抱きしめて背中を撫でながら、
「俺の両親は公務員でさ、お堅い職業に就いてるだけあって教育熱心で、色々構われたけど俺の為じゃ無くて自分たちのステータスの為なんだろうなって思ってた」
 と呟いた。
「そうなの…」
「構われ過ぎて親を煩わしいと思う人間と、親に愛されたいと思い続けてきた人間で、ちょうどプラマイゼロ。上手くやれるんじゃないか?
あれ?ゼロじゃダメか?」
「あははっ ううん、ゼロから始めるのもいいよね」
 両親の話しをしながら笑えている事に少し心が温かくなった事を覚えている。
「うん。まずはお互いの距離をゼロにしてみないか?」

 その日、初めて身体を重ねた。
 元主人の巧みな技に私はめくるめく…を何度も経験させられた。

 元主人の強引な程の求婚に、こんなに熱心に求婚されて結婚するのは悪くないと思った。
 付き合ってすぐに結婚したがってくれるなんて、物凄く私を愛してくれていると思ったし、今後こんな風に求婚してくれる人は現れないだろうな…と思った。

「お前を愛してる」
 何度も何度も言われて、私はすっかり元主人が私を必要としてくれている生活を信じた。
 だから、半年にも満たない交際期間で結婚を決めた。
 決して結婚した店長への意趣返しでも、自棄でも無い。
 元主人にとって必要とされる存在、愛される存在になれた事が私自身の喜びだと思えたから。


「結局…どうしてそこまで私に拘ったのか、理由が判らなかったな。
美人て訳じゃないのに…何度も愛してるって言ってくれた事、本当に嬉しかった……」
 自分を高めてくれる存在だから必要だと言われた……
 それは、愛してくれていた訳ではなく本当に自分にとって何か都合のよい存在という事だったのだろうか。
 元主人の仕事に口なんて出した事はないはず。
 だから、きっと考えすぎ。
 元主人はきっと記憶を無くす前は、私を愛してくれていた。
 そう、同僚の彼女と不倫なんてしていなかった…はず。
 そう信じて生きていく。

 この先、元主人には会うことはないだろうけど、都合の良い女だっただけで、ずっと不倫されていた妻だったなんて思いたくない。
 あんなに嫌悪した母と元主人が同じことをしていたなんてある訳無いし、元主人を不倫に走らせる程自分が悪い妻だったなんて思いたくない。
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