薄羽蜉蝣
第七章
「お姉ちゃん」

 躊躇いがちにかけられた声に、佐奈は布団から顔を出した。
 おせんが覗き込んでいる。

 あれから三日経った。
 おせんは幸い大きな怪我もなく、首の傷も浅くて済んだ。

「お姉ちゃんの具合がよくないっていうんで、様子見に来たんだ」

「ありがとう。おせんちゃんも、大丈夫?」

 身を起こして言うと、おせんはこくりと頷いた。
 あの夜から、佐奈は部屋に籠りきりだ。

「あの、お姉ちゃん。助けてくれて、ありがとう」

 もじもじと言った後、おせんは小さく頭を下げた。

「助けたのは与之さんよ」

 言いつつ、ぼんやりと細く開いた障子から外を見る。
 いつも開いている与之介の部屋の障子は閉まっているようだ。

「でも、お姉ちゃんも助けてくれた」

「お役に立てたのなら、よかったわ」

 ぽん、と頭に手を置くと、おせんはやっと、ぱ、と笑った。
 そして、いそいそと持ってきた牡丹餅を広げる。

「お腹空いてるでしょ? これ、お母が持って行けって」

 一口齧ると、あんこの甘さが口に広がる。
 人の優しさに、佐奈は泣きたくなった。

「おせんちゃん。おせんちゃんは、私のこと聞いたでしょ。私の親は泥棒で、ああいう男だったんだよ。なのに何で、まだ良くしてくれるの」

 堪えてもあふれてくる涙を袖で隠しながら聞くと、おせんは牡丹餅を頬張りながら、きょろ、と周りを見回した。

「だってお姉ちゃんは、そんなこと知らないって言った。自分の父親は、ただの商人だって」

 障子の外を、子供たちが駆けていく。
 その足音が遠ざかってから、おせんはちらりと佐奈を見た。

「お母も言ってたよ。親がどうだって、子供には関係ないって。そんなことで追い出すなんて、くだらないってさ」

 今まででは考えられないような言葉だ。

「おせんちゃんも、そう思う?」

 聞いてみると、おせんは当たり前だと言うように、顎を逸らせた。

「もちろん。過去がどうだって、実際触れたことが全てさ。人が悪党だって言ったって、自分がそう思わなけりゃ違うんだよ」

 ふふん、と子供らしからぬ口調で言い、得意げに笑う。
 おそらくお駒の受け売りだろう。
 常日頃から言われていることなのかもしれない。
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