薄羽蜉蝣
「実際触れたことが全て、か」

 すとんと、その言葉が佐奈の心に落ち着いた。

「与之にも常々言ってるんだけどねぇ。与之って大人のくせに、意気地なしなんだよ。自分はこう思うっていうことがあっても、相手のことばっかり優先すんの。相手がこう思ってんな、と気付いたら、自分のことは後回しにするんだよね」

「それは、大人ならではの気遣いじゃないの?」

「違うよー! 意気地なしなんだよ! 男なんだから、相手はこうでも自分はこう! てとこ見せなきゃ」

「おせんちゃんは、そういう人が好きなのね」

「そうだね。……あ、でも与之のことも、嫌いじゃないよ?」

 途端に焦って、おせんはわたわたと与之介を庇う。
 赤い顔のおせんを見ながら、佐奈は再び障子の向こうへと視線を投げた。

「与之さんは? 今日はいないの?」

 戸が閉まっているなど珍しい。
 そういえば、子供らも各々外で遊んでいるようだ。

「与之、二日前からずっといない」

「えっ」

 二日前ということは、あの夜が明けてからずっと、ということか。
 ずっと部屋に籠っていたので知らなかった。

「私はあの夜の次の日は、お母に言われて大人しく寝てたんだけど、朝太郎たちが言うには、何か大人は大人の遊びがあるって言って出て行ったんだって。お母らはちょっとびっくりしてたけど、まぁそういうこともあるって。よくわからないけどさ」

 ぷーっと不満そうに膨れる。
 廓遊びだろうか。
 確かにそれなら二、三日留守にしてもおかしくないかもしれないが、長屋暮らしの浪人に、廓に居続けなどできる金があるだろうか。

---それとも廓じゃなく巷に、誰かいい人がいるのかも---

 そう考えると、きゅんと心が痛くなった。
 が、今までそんな素振りは全くなかったのに、いきなりというのも怪しい。

 女子の影を匂わせたのは、いなくなることを長屋の連中に怪しまれないためではないか?
 ただ、佐奈がそう思いたいだけかもしれないが。

 少し不安そうに、佐奈は閉まった与之介の部屋を見つめた。
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