君のいた時を愛して~ I Love You ~
 俺はその日、本当は午後からの勤務だったけれど、サチには早く行かないといけないと偽って部屋を出た。
 サチは、自分のことだからと、大将の所には自分で説明に行くと言っていたけれど、俺はサチの夫として、大将に状況をきちんと説明しておきたいと思った。
 お昼前の戦闘状態に入る前、まだ、誰もスタッフが来ていない店の裏口をノックすると、大将が扉を開けてくれた。
「鰆、なに遠慮してんだよ。家で鰆は永久欠番にしてあるんだよ。どうどうと、店に入ってくれば良いものをノックするなんて、全く、他人行儀な奴だな・・・・・・」
 大将は言うと、俺に椅子を勧めてくれた。
「そうしてみると、鰆もいっぱしのホワイトカラーだな!」
 大将は手ずからお茶を煎れて俺に出してくれた。
「そんなことないですよ。大将が口を利いてくれなかったら、未だに鰆で、スーパーのパシリでしたよ」
 俺は苦しかった頃の生活を思い出した。
「小女子ちゃんは元気か? 電撃結婚のせいで、かなり打ちひしがれた奴が居たんだぞ」
 大将は笑顔で言った。
「実は、サチは白血病なんです」
 大将の顔から笑みが消え、するりと湯飲みが手から滑り落ちた。
 湯飲みは転がり、お茶をこぼしながら床に落ちて砕けた。
「大将?」
 あまりのことに俺の方が驚いて大将のことを見つめた。
「白血病・・・・・・」
 大将は呻くように言った。
「大将、大丈夫ですか?」
 俺の問いに茫然とした対象がオートマタのようにコクコクと頷いた。
「大将、本当に大丈夫ですか?」
 俺がもう一度尋ねると、大将はテーブルの上で両手を組んで俺の事を見つめた。
「すまなかった。それで、さっちゃんの具合はどうなんだ?」
 動揺を隠しきれてない大将に、俺は理学療法を始めること、寛解するまでは仕事に戻るのは難しい事を話した。
「あれは、やっかいな病気だ。油断のない、スリみたいな病気だ。充分気を付けて頑張るんだぞ」
 多くを語る前に、すべてを飲み込んでくれた大将に、俺はお礼を言うと店を後にした。
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