君のいた時を愛して~ I Love You ~
三十四
 俺の中嶋先生に話を聞きたいという思いとは裏腹に、サチは俺を先生から遠ざけようとしているようで、予定の診察日も前日になって『うっかり日にちを間違えちゃった』と笑ってごまかされ、せっかく申請した有給は、サチの通院の付き添いではなく、サチの看病と部屋の片づけや買い物をする日にすり替わってしまった。

「サチ、今度は先生に会わせてくれよ」
 俺はしつこいかなと思いながら、夕食の準備をしながらサチに言った。
「ごめんね。一日間違えてて。せっかくお休み取ってくれたのに。でも、こうしてコータと一緒にいられるのって、すごく幸せだよ」
 サチの笑顔に、俺はほほ笑んで返した。
 確かに、仕事の時間をスライドしない固定時間にしてもらったからと言って残業がなくなるわけではないし、サチが安心して治療を受けられるようにと思うと、すすんでとまでは言わないものの、残業代はありがたいので必要があれば残業をするようにしていた。
 ある意味、サチが築いたこのアパートの助け合いに頼りっぱなしと言われてしまえば返す言葉はないのだが、それでも、俺はできることをして助け合いの輪に入ろうと、店の特売品や見切り品にするのが勿体ないような食材などを可能な限りまとめて購入してサチに渡し、サチがお礼としてみんなにいきわたるようにしていた。
 大将の店とバイトを掛け持ちし、捨てられる寸前の野菜や惣菜を貰って生活していた頃が思い出されたが、あの時の夢も希望もない俺とは違い、今は愛するサチと大切な未来のためには恥も外聞も気にしないという確固たる信念が俺の中には宿っていた。
 そう、サチのためなら土下座だって、燃え盛る火の中にだって飛び込める。それでサチの体が健康に戻るなら。

「コータ、あたしの顔に何かついてる?」
 思わずじっと見つめてしまった俺に、サチが首をかしげながら問いかけた。
「ちゃんと、目と鼻と口がついいてるよ」
 俺が茶化して言うと、サチはあきれたような表情を浮かべた。
「もう、今時、そんな古いギャグ、誰も言わないってば」
「しょうがないだろ。サチが愛しくて、愛しくてたまらないから見とれてたって言ったら、サチの方が困るだろ」
 俺の言葉に、蒼白かったサチの顔がほんのりと赤くなった。
「ん、も、もう、コータったら・・・・・・」
 サチは恥ずかしそうに言うと、横を向いてそれ以上何も言わなかった。
 そんなサチを見ながら、俺は自分が変わったなと思った。
 以前の俺なら、絶対にこんな言葉を口にすることはなかった。愛なんて、仮初めの、はしかにかかったようなものだと、すぐに醒めて、他の何かにすり替わってしまうものただと、そう思ってていたから。ずっと俺のいた場所、美月のとなりに他の男が立ち、俺の居場所がなくなっても世界は終わらなかった。
 そう、不景気で雇い止めされても会社はなくならなかったし、ホームレスになっていくところを失い、その日暮らしのネットカフェ難民になっても、世界は終わらなかった。俺にとって、すべてはその場しのぎ、仮初めの約束で永遠なんてないと、俺はずっとそう思って生きてきた。でも、今は違う。俺は愛があること、約束がすべて果たされなくても、その約束に託された祈りや願いは永遠であることを信じられる。例え何時か、俺の時間が終わり、サチと別れないといけない時が来ても、俺の愛は消えてはなくならないと信じられる。例え、そのあと、サチが再婚したとしても、俺への愛が消えるわけじゃないとそう思える。昔だったら考えられないことだけど、今の俺はそれを信じることができる。
 俺はいつでも、どこでも、誰に対してでも胸を張って言える。俺はサチを愛していると。

「コータ、焦げてるよ」
 思わず物思いにふけっていた俺の耳に、サチの声が届いた。
「ああっ!」
 俺は慌てて火を弱くすると、フライパンの中の具材を見つめた。
 薄切りのキャベツは黒く、もやしはこげ茶と黒になり『焦げてます』と言わんばかりの煙を上げていた。
「大丈夫、まだ、豚肉入れてないから!」
 俺はサチに言うと、豚肉を入れて火を通した。それから、ほぐしておいた麺を入れ、最後にパウダーのソースを入れて水を注ぎ、焼きそばを完成させた。
 肉を先に入れると固くなるので、俺はいつも最後に肉を入れることにしていたので、野菜は焦げたが、肉は柔らかいまま食べることができそうだった。
 皿に焼きそばをとりわけ、付け合わせに笹かまぼこを皿のふちに二枚ずつ並べた。
「あっ、今日はちくわじゃないんだ」
 皿を卓袱台に置くと、サチがすぐに言った。
「ああ、今日は、笹かまぼこが特売だったんだ」
 なぜだか理由はわからないが、笹かまぼことちくわは形が違うだけの類似商品のはずなのに、値段は明らかに大きく違う。安いちくわが五本入りで百円以下で買えるのに、笹かまぼこは四枚で二百円を超える。たまたま、俺の知っている店がどちらも高級な笹かまぼこを仕入れているのかもしれないが、俺とサチにとって笹かまぼこは贅沢の象徴ともいえた。
「えっ、でも、高かったんじゃない?」
 サチが心配げに言った。
「ふふふ、サチ君。俺を見くびったらいけないぜ。俺が安いと言ったら安いんだよ。二パックでなんと二百五十円だったのさ」
 俺が種を明かすと、サチは驚きの表情を浮かべた。
「さすがコータ。すごい!」
 サチの笑顔を見ながら、俺は箸を手に取った。
「いただきます」
 サチも箸を取って言い、俺も『いただきます』と続けた。
 二人で互いの顔を見つめ、一瞬ほほえみを交わしてから、俺たちは夕飯の笹かまぼこ付き焼きそばを食べた。そう、決して笹かまぼこがおまけではない。俺たちの場合は、主食ではあるが焼きそばのほうがおまけということになる。
 焼きそばを一口食べてから、二人で合わせたように笹かまぼこを一口食べた。
「おいしいね」
 サチが笑顔で言った。
 サチが笑ってくれるだけでうれしい。そう思っていると、俺の目から涙が溢れた。
「やだ、コータ。笹かまぼこだけじゃなくて、コータが作ってくれた焼きそばもおいしいよ。だから、泣いたりしないで・・・・・・」
 俺の涙をどう理解したのか、サチは慌てて言うと、俺の前でサチは焼きそばを口に頬ばった。
「ごめん、なんだか俺、すごく幸せで・・・・・・」
 俺の言葉に嘘はない。サチが病気なことを除けば、俺は世界で一番幸せだと言えるくらい、幸せだ。
「あたしも幸せだよ。コータと結婚できて。こんなに幸せなれるなんて、考えたことなかったもん」
 サチは言うと、焼きそばを口に運んだ。
 俺たちは決して高級食材や、高級料理店に通えるような贅沢な生活はできない。ささやかに、笹かまぼこが贅沢な食べ物の生活でも、俺たちは幸せだった。この幸せが続けば、それだけでよかった。

☆☆☆

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