君のいた時を愛して~ I Love You ~
 サチの予言通り、アパートの住人のほとんどがサチが難しい病気であることを知り、中には見舞いの品まで持ってきてくれる人がいた。
 富田のおばさんはサチが買い物リストを渡すまで絶対に買い物に行かないというので、サチは夕飯の献立を考えながらリストを作成した。
「いいねえ。簡単豚しゃぶだね」
 買い物リストを見ると、富田のおばさんは言った。
「豆もやしも体にいいからね。サラダにしてでも食べるといいよ。電子レンジですぐに食べられるからね」
 おばさんは言うと、お金も受け取らずに買い物に行ってくれた。
「さっちゃん、入るよ」
 山根のおばさんは昨夜コータが洗濯した白物を干してくれただけでなく、乾いたからとわざわざ畳んで持ってきてくれた。
「おばさん、すいません」
 サチが言うと山根のおばさんは、キレイにアイロンが掛けられ、折りたたまれたワイシャツを部屋の入り口においてくれた。
「おばさん、わざわざアイロンかけてくれたの?」
 サチが驚いて声を上げると、おばさんはにっこりとほほ笑んだ。
「昔取った杵柄ってもんよ。昔は、旦那と小さなクリーニング屋をやってたのよ。でも、あの不景気が来て、店はつぶれるし。亭主は酒と女に走って出て行っちまってね。アイロン持ったのなんて、いつぶりだろうね」
 おばさんは言うと、少し寂しそうに笑った。
「でも、いいもんだね。こうして真っ白なシャツにアイロンかけて畳むと、すごく新鮮な気持ちになるね。また、いつでも言っておくれ」
 山根のおばさんは言うと、部屋から出て行った。

 コータがこのアパートに住み始めたのは、あの不況の直後だったが、あの不況と恋人に裏切られた痛手から人との付き合いを断っていたコータは、同じアパートに住んでいる人々との付き合いも絶っていた。だから、サチが一緒に住み始め、交流を始めるまで皆、コータを変わりものの若い男が引っ越してきたと思っていたらしい。それでも、サチがコータに助けられた経緯を説明して、コミュニケーションを取るうちに、いつしかみんなサチの歳の離れた友人のようになっていた。
 アパートの住人のほとんどは皆単身で、それぞれいろいろな理由があってこの安アパートに住んでいる。みんながみんな仲が良いわけではないが、それなりの横のつながりはあり、女性陣はそれなりに男性陣を支えて成り立っていた。
 つい先日までは、サチもサポートする側で、一階に住む中村のおじいさんは、立ち上がるのも大変なほど足が悪く、買い物に行かれないので女性陣がサポートしていた。そんな中村のおじいさんが、這うようにして階段を上り、いつも思いお米を買って運んでくれたお礼にと、サチのところに見舞いのお菓子を届けてくれたことをサチは涙を流しながらコータに話した。


「俺が知らない間に、サチは本当の意味でこのアパートの住人になってたんだな」
 コータは感心したように言った。
 サチの話を聞けば、あのサチの母とその情夫が乗り込んできたときにアパートの住人が一致団結してサチを助けてくれた理由がよく分かった。
「きっと、サチが一緒じゃなかったら、俺、このアパートにそんなに心の優しい人たちが住んでいるなんて、ずっと知らなかったな」
 コータが言うと、サチは青白い顔に笑みを浮かべた。
「あたしね。お母さんがあんな人だから、みんなから冷たい目で見られて育ったの。でもね、ここのみんなは、冷たい目であたしのことを見たりしなかったの。だから、思い切って挨拶してみたら、みんないい人たちだった」
 サチの嬉しそうな言葉を聞きながら、コータが言うとサチは嬉しそうに頷いた。
「みんな、あたしのおじさんやおばさんで、おじいちゃんもできたんだよ。全部、コータのおかげ」
 サチの言葉に、コータは思わずサチを抱きしめた。
「サチ・・・・・・」
「どうしたのコータ? サチの話を聞いてると、俺、なんだか白馬に乗った王子様みたいに聞こえるな」
 コータが少し茶化して言うと、サチが『リサイクルショップのおばさんはそう呼んでるよ』と答えた。
 そんなサチの言葉を聞きながら、コータは涙が溢れそうな不安を抱え、必死にその不安と戦っていた。治療を続けても続けてもサチの具合はよくならず、悪くなるばかりで、サチがいなくなってしまいそうなそんな不安に毎日のように襲われては夜中に目が覚め、隣に眠るサチを起こさないように抱きしめながら、声を潜めて泣く夜もあった。それでも、サチには涙を見られたくなかったので、母を見送った時のように、コータは感情を必死に押し殺して生活していた。

「次、いつ先生に会う?」
 治療に通院しても必ず主治医の中嶋医師と必ず会えるわけではない。治療だけの日は、理学療法士としか顔を合わせないこともあるとサチから聞いていたので、コータは思い切って尋ねた。
「えっとね、次の次の治療の日に、診察が入ってるよ」
「じゃあ、その日は仕事を休んで一緒に行くよ」
 コータの言葉に、サチは頭を横に振った。
「大丈夫だよ。コータは心配性なんだから。ちゃんとおばさんたちがタクシーも呼んでくれるし、あたし一人で病院くらいはいかれるから。コータはお仕事頑張って。コータがお仕事頑張ってると思うから、あたしも頑張れるから」
 必死に笑顔で言うサチに、コータはそれ以上言うことはできなかった。
「わかった。じゃあ、俺は仕事頑張るよ」
 コータは言うと、サチの額にキスを落とした。
「寂しいな。コータとキスもできない」
 サチは寂しそうに言った。
「しょうがないよ。抵抗力が落ちてるんだから、万が一俺から風邪とか、悪いものがうつったら大変だから」
 コータは諭すように言った。
「知ってるよ。でも、コータにぎゅっと抱きしめてもらって、キスくらいしたいの。もう、ずっと愛し合ってないし。コータに愛されてるって全身で感じたいのに」
 サチの言葉にコータの方が抑え込めていた欲望に火が付きそうになった。
「ごめんね、コータ」
「謝らなくていいよ。サチが元気になったら、まとめてたっぷり愛し合えばいいから。そういう時は、この音が漏れる部屋じゃなくて、どっかに旅行に行って豪華に愛し合おう」
「ありがとう」
 サチは言うと、コータの胸に顔をうずめた。
 そんなサチの心に、いつまでこうしてコータに抱きしめて貰えるのだろうという不安が過った。
「そろそろやすもうか」
「うん」
 サチの返事を聞きながら、コータはサチが立ち上がるのを支え、二人でベッドに横になった。
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