君のいた時を愛して~ I Love You ~
十二
 師走とはよく言ったものだと、毎年の事ながら感心させられる。
 昼の定食屋は、寒さのせいで行列が短い分、混み方もゆるくなるが、夜に忘年会、そして新年のお節のための仕込みなどで厨房は休む間もなく皆が走り回り、スーパーの買い物客の歩みも早くなっていく。
 サチは大将に頼まれ、幾つかの大切なお得意さんの忘年会の日だけ夜を手伝うために忙しくしているし、俺は俺でクリスマスと年末年始の為の商品がガンガン運び込まれる倉庫で在庫の確認や不足分の計算に大わらわしていた。
だから、サチとのディナーの事もすっかり頭の中から消え、サチが夜の仕事にいく日は俺はいつもの何倍も頑張って良さげな食品を調達した。
「あ、ディナーは二十八日ね」
 サチの言葉に、俺はなにを言われているのか分からず、キョトンとした顔でサチを見つめ返した。
「あっ、コータ忘れてたでしょう!」
 サチは頬をふくらませて子供みたいに怒ると、俺の用意した夕飯の席に着いた。
「いや、あんまり忙しかったから」
 俺の言葉に、サチはむくれたまま箸をとった。
「いただきます」
 サチに続き、俺も箸をとった。
「いただきます」
 しかし、サチは完全に機嫌を損ねたようで、ニコリともしなかった。
「俺、イブとクリスマスは、表でケーキ売ってるから、俺のサンタ姿を見るなら、今年がチャンスだぞ」
 正確には、万が一、来年も赤いマークのくじを引いてしまったら俺が当番になるのだが、できれば、あの恥ずかしい姿は今年だけにしたい。
「じゃあ、写真撮りながら、ケーキ見に行くね」
 そう、俺たちの場合、家族向けのケーキなんて買っても食べきれないし、冷蔵庫のスペースを考えたら、食べきれないサイズの物は買えない。
「ケーキ、売れ残ったらどうするの?」
 今まで、ケーキに興味を持ったことなどなかったので、売れ残ったケーキの取り扱いには、まったく記憶がない。
「たぶん、スタッフの誰かが買うんじゃないか?」
「そっか、コータは?」
「俺? 貧しい一人もんだって皆知ってるから、一度も買わされたことないけど」
「違うよ、彼女とお祝いするときはケーキ買ってたの? それとも、外で食べてた?」
 サチの問いに、俺は箸を止めた。
「そんな昔のこと、憶えてない」
 意識してないのに、なぜか声が不機嫌になる。
「家は、お父さんが、仕事帰りに買ってきてくれた」
 サチがぽつりと呟いた。
 それは、初めて聞くサチの家族の話だった。
「優しいお父さんだな。俺は、親父を知らないから。うちはシングルマザーで、そのお袋も早くに亡くなったから、家族らしい思い出なんて、思い出せないな」
 俺の言葉に、サチは顔を上げて俺の事を見つめた。
「コータはお父さんの事、知らないんだ」
「ああ、戸籍にも父親の名前はなかったから、今更、どういうわけでシングルマザーになったのかも興味がない」
 そう、俺はお袋が死ぬまで、なんとか父親の事を訊きだそうと何度となく尋ねたことがある。高卒で就職するシングルマザーの子供はあまり優遇されない。どちらかと言えば、保守的な個人経営の下請け工場なんかでは、変な目で見られたり、嫌な思いをすることが多い。だから、俺は欠片でもいいから父親の事を訊きたかった。生まれる前に病死したから認知されていないとか、どんな適当な嘘でもよかった。俺が産まれてきたことに意義を見つけられるような理由が。でも、お袋は、ただ一言、『お父さんの事は忘れなさい』としか答えなかった。
「お父さん、あたしが小さい頃に死んじゃったんだ」
 俺がモヤモヤと昔の事を思い出していると、サチがポツリと呟いた。
 サチにケーキを買って帰ってきてくれたお父さん、きっとサチが大好きだったお父さんも早くに亡くなった。
 俺は、改めてサチと俺の共通点に苦笑した。
 『幸』という漢字で人生の幸福を望まれて生まれてきたはずの俺もサチも、親を亡くし、幸せとは縁遠い生活をしている。これならいっそ、『幸』なんて漢字を使って欲しくなかった。きっと、サチもそう思っているんじゃないかと、俺は思った。
 そこで、ふと俺はサチが母親の事に触れないことに気付いた。
「サチのお母さんは?」
 俺の問いに、サチの手が止まった。
 俺は訊いてはいけないことを訊いてしまったのだと、瞬時に悟った。
 悲しげだったが、決して不快な表情を浮かべていなかったサチの表情が、ギラリと瞳に尖った光を湛え、不快さと怒りをあらわにした表情に変わった。
「ごめん、つい口が滑った。なんにも、訊かない約束だったよな」
 俺は慌てて言いつくろうと、お代わりのご飯を茶碗によそった。
「お父さんが死んだのは、お母さんのせいだよ」
 俺はサチの言葉にギョッとする。
「お母さん、とっかえひっかえ、いろんな男と浮気して、子供まで作って、お父さんはそれが辛くて、病気になって死んじゃった」
 俺は開けてはいけない箱を開けたパンドラの気分だった。
「次から次から、新しいお父さんっていう男が来たけど、タバコ吸って、お酒飲んで、お母さんとあたしを殴って、蹴って、みんな変わらなかった」
「もういい、サチ。辛くなるから、話さなくていい」
 俺は止めたが、サチは言葉をつづけた。
「あたしは、高校の頃から、お母さんが働いてるスナックにバイトに行かさせられて、バイト代は男の博打と飲み代になって消えた。高校をでたら、若い子の多いキャバクラに働きに行かさせられて、毎晩、酔っ払いのオヤジのグラスに二束三文のボトルを詰め替えた偽酒を一杯何千円、ボトル一本何万円ってぼったくる仕事をさせられたの。そこの店長が、私に気があって、頼んだら、親に渡す給料の中から、私のお小遣いを別にしてくれて、それで、お給料を持ってお店から逃げようとしたら、店長に掴まって、何度も何度も殴られて、それでも必死に逃げて、何本も何本も電車を乗り換えて、気付いたらあそこに座り込んでた。何時間も。でも、誰も声なんてかけてくれなかった。なのに、コータはあたしに声をかけてくれて、ご飯を食べさせてくれて、すごく嬉しかった・・・・・・」
 サチの瞳から殺意のような鋭い光が消え、涙がこぼれた。
「そっか、それであんなに痣だらけだったのか・・・・・・。でも、綺麗に痣が治ってよかったな」
 俺は笑顔で言うと、サチの頭を何度も撫でてやった。
 サチの話で、俺はサチが必要以上に夜の部の手伝いを断る理由を理解することができた。
「なあ、サチ。お互い、あんまりいい思い出がないから、二十八日のディナーは、人生で最高の思い出にしような」
 俺が言うと、サチは無言で頷いた。
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