君のいた時を愛して~ I Love You ~
二十五
 やっと熱が下がり、あたしはコータに美味しい物を食べさせてあげたくて、久しぶりにコータの働いているスーパーまで買い物に出かけた。
 契約社員のコータは、最近は試験勉強が大変だと言って、家に帰ってあたしの看病をしてくれながらも、遅くまで勉強していた。そんなコータの姿を見ながら、あたしはコータが輝いている理由が定職に就いたからじゃなくて、結婚して幸せに暮らしているからだったらいいな、なんて自分勝手なことを考えてみたりしていた。
 でも、本当に、最近のコータは眩しいくらいに輝いて見えた。
 最初に出会った時のコータは、あたしと同じように暗い過去にがんじがらめに縛られていて、笑うこともあまりなかったし、きっとあたしとコータが結婚するまで最後のステップを踏み出せなかった理由は、お互いに自分の想いが相手に重すぎないか、そして相手の想いが重すぎないかをはかりかねていたから、だから、喜怒哀楽にかけて、まるで楽しみを知らない養豚場の豚みたいに、食べて、寝て、いつかくるその時には全てを失うってそう考えて過ごしていたんだと、最近思うようになった。
 結婚してからのコータは、よく笑うし、喜怒哀楽もはっきりしているし、でも、起こった姿は実はお父さんと喧嘩した時しか見たことがない。あたしの知ってるコータは、いつも優しくて、いつも笑ってる。もちろん、最近は真剣に勉強するまじめな顔をよく見てるけど、何かを仕方なくしている姿でも、いやいやしている姿でもない。それは、明らかにコータが生き生きしているんだとあたしは思ってる。だから、そんなコータに置いて行かれないように、あたしもコータの妻として、なんだか自分で考えてても、妻って言葉がくすぐったいけど、コータに恥ずかしくない妻でありたい。あたしは、勉強も得意じゃなかったし、頑張ってもコータの自慢の奥さんにはなれないと思うから、せめてコータが恥をかいたりしないように頑張らなくちゃ。
 あたしはそんなことを考えながら、鮮肉コーナーで足を止めた。
 たまには手の込んだ、ハンバーグとか作ってあげたい気もするけれど、男性は週に一度豚肉を食べたほうが健康に良いとリサイクルショップのおばさんに教えてもらったから、今日はやっぱり豚肉かな。
 あたしが手を伸ばして生姜焼き用の薄切り肉のパックを掴もうとした瞬間、脇から出て来た手が素早く私の狙っていたパックを掴んで視界から消えた。
 しまった。寝込んでいたせいで、まだ熟練主婦のおばさま方と対等に戦うだけのスピードが戻っていないらしい。仕方なく、あたしはその隣にあったパックを手に取った。
 あとは、付け合わせにキャベツを買って、しょうがはすりおろすのが大変だから、今日はちょっと贅沢して、チューブ入りにしよう。
 ぽたっ。
 手に持っていた豚肉のパックの上に赤い水滴が落ちた。
 えっ、なにこれ?
 ぽたっ。
 続けてもう一滴落ち、あたしが呆然としていると、隣に立っていた誰かが『あなた、鼻血がでてるわよ』といって親切にティッシュペーパーを差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
 あたしはありがたくティッシュペーパーを受け取り、自分の鼻を抑えた。
 普通、鼻血が出る時のような、どくん、どくんというような、波打つような変な感じはなく、まるで鼻水がでるように、どんどんティッシュペーパーが赤く染まっていった。
 あたしは買い物かごを床に置くと、自分のバッグの中からティッシュペーパーを取り出し、片手で鼻を押さえながら片手で肉のパックを拭いた。
「あのお姉ちゃん、鼻血出してるよ」
 見知らぬ子どもが驚いたように指さしているのが視界に入った。
 なにこれ? どういうこと?
 呆然としていると、いきなり両肩を掴まれた。
「サチ!」
 勤務中のはずのコータが隣に立っていた。
「精肉売り場のチーフが、具合が悪いお客さんがいるみたいだって連絡してきたから、見に来たんだ」
「ごめんね、コータ。心配かけて。なんか、突然で、あたしもびっくりしちゃって・・・・・・。すぐに止まるよ」
 あたしはコータを心配させまいと、必死に笑って見せようとしたけれど、うまく笑うことはできなかった。
「とりあえず、こっちに救護室があるから」
 コータは言うと、あたしの買い物かごを片手に、あたしの体を支えながら奥の救護室に案内してくれた。
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