君のいた時を愛して~ I Love You ~
「なに、中村君の奥さんなの?」
 救護室にいた熟年のベテランスタッフに見える女性は言いながら、あたしをベッドに横にならせてくれた。
「そういえば、この間高熱出したとかって話してたわよね?」
「そうなんです。まだ、熱が下がって良くなったばっかりなのに、わざわざこっちまで買い物に来るなんて・・・・・・」
 コータが心配そうな声で言うのが聞こえた。
「えっ、それが愛ってもんでしょう。旦那をつれなくクビにした競合店舗の方が近くても、わざわざ旦那の働いている店まで買いに来る。こーゆーのを愛って言うのよ、もう少し勉強しなさい、若者!」
「そういうもんなんですか?」
「そうよ、女性って言うのはね、母親になるまでは、旦那への愛にあふれてるんだから、子供ができるまでのほーんの短い一時よ、謳歌しなさい若者! ほら、仕事に戻る。奥さんは、私がちゃんと見ておくから」
 バンという景気のいい音がして、女性スタッフがコータの背中を叩いたのが何となく音だけで分かった。
 コータが出て行って、静かになった部屋を女性の足音が近づいてくる。
「ちょっと、見せてみて?」
 女性は言うと、上から覗き込むようにしてあたしの鼻を覆っている血まみれのティッシュペーパーを取り除いた。
「鼻血はよく出る方?」
「いえ、すごく久しぶりです」
「この間まで熱があって寝込んでたんでしょう。粘膜が弱ってて、何かの拍子に出ちゃったのかな? 頻繁にでるようなら、お医者さんに行った方がいいと思うけど、そうでなければ、心配はいらないでしょう。ただの鼻血だし。でも、血が止まりにくい人?」
 言われてみれば、昔から転ぶと結構だらだらと血が出て母のヒステリックにあい、更に痣のおまけまでつくことがよくあった。
「そうですね。結構、小さい頃から止まりにくかった気がします」
「じゃあ、要注意よ。出産時は、正常分娩めざさなくちゃね」
 余りに相手が子供にこだわるので、あたしは少し言い心地が悪くなった。
「まあ、でも二人とも若いし、しばらくは甘―い二人だけの時間を大切にするのも悪くないわよ。何しろね、子供ができると、旦那も子供も同じくらい手がかかるようになるから、一人産んでも子供が二人と同じだし。でも、中村君なら、いい旦那さんで父親になるかもね。それは、あなたの教育次第かな。・・・・・・ここにコットンがあるから、適当に変えて、血が止まったら帰って平気よ。あなたのかごはレジを通ってないから、お客様カウンターに預けてあるから、足りないものをもってお客様カウンターに行けば、一度で会計できるから、安心して休んでいきなさい。それから、旦那に心配かけないのが、いい奥さんってものよ。健康を大切にね」
 女性スタッフは、マシンガントークであたしを圧倒すると、コットンの束と使用済みのコットンを捨てるためのビニール袋を手渡して部屋の隅にあるデスクの方へと戻っていった。
 コータに心配をかけないのが、いい奥さんだとしたら、あたしは奥さん失格だな。
 あんな風に、お母さんたちが乗り込んできて騒いで、コータがお父さんと決別しちゃったのだって、あたしと結婚したからだ・・・・・・。
 でも、コータと離れたくない。絶対にコータの傍に居たい。だって、コータの居ない生活なんて、あたし、考えられない。
 あたしは何回もコットンを取り換えながら、そんなことを考えていた。
 しばらくして、やっと血が止まったあたしは、最後のコットンをビニール袋に入れてゆっくりと起き上がった。
「どう、とまった?」
 女性スタッフが背中を向けたまま訊いてきた。
「はい、とまりました」
「ちょっと待ってね」
 女性スタッフは言いながら立ち上がると、茶色いボトルを片手にあたしの方に歩いてきた。
「コットン残ってるかしら?」
「はい」
 あたしは残ったコットンを手渡した。
 女性はボトルの口を開け、コットンに液体を染み込ませる。
 ツーンとした、病院独特のにおいがして、女性は濡れたコットンであたしの鼻の周りを拭いてくれた。
「これで大丈夫。洋服にはついてないみたいだから、ラッキーだったわね」
「本当に、ありがとうございました」
 あたしは頭を下げてお礼をいった。
「じゃあ、気を付けてね」
 スタッフの家族だからなのか、女性はとても気さくな感じであたしを救護室から送り出してくれた。
 説明を受けたとおり、あたしはかごに入れていなかったしょうがのチューブとキャベツを手に、レジの近くにあるサービスカウンターに行き、会計を済ませた。
 それからバスに乗り、部屋へと帰った。
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