その身体に触れたら、負け ~いじわる貴公子は一途な婚約者~ *10/26番外編
「あいにく、途中で零してしまいまして。通りかかった給仕にグラスを渡したんですよ。……イリストア卿と親しいのですね」

 フレッドが珍しく不快感をあらわに眉をひそめる。その目がオリヴィアの手に向けられているのに気づき、彼女は慌てて手を後ろに隠した。震えていることに気づかれたくない。「そんなことはありませんわ」と素っ気なく返すと、彼がかすかに片眉を上げた。

 彼が来てくれたことにオリヴィアは心の中で感謝した。あのまま手を放してもらえなかったかもしれないと思うとぞっとする。

 それにしても、彼はなにやら不機嫌そうだ。

「どこか濡れたのではないですか?」

 オリヴィアは付き添いのために控えていた侍女のエマを目で呼び寄せると、バッグからレースのハンカチを取り出した。

「大したことはないですよ」
「でも、放っておくと染みになりますわ」

 彼女は上品なシルバーグレイのテイルコートを着たフレッドの全身に目を走らせたが、染みは見当たらなかった。ひだをたっぷりと取ったごく淡い水色のクラヴァットも濡れた様子はない。わかりにくいところにあるのかもしれない。

 ハンカチを持った手でテイルコートの下の胸もと辺りに手を伸ばすと、フレッドが苦笑まじりにそれを止めようとする。その拍子に二人の指先が触れ合った。

「……!」

 弾かれたように手を引くと、フレッドが目を瞬いた。

「これくらいで勝ち負けは決めませんよ」
「すみません」

 これではただの自意識過剰みたいだ。オリヴィアの頬がいたたまれなさにかあっと熱くなった。
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