触って、抱いて、もっと愛して。臆病な令嬢は貴公子の一途な熱情に蕩かされました(原題「その身体に触れたら、負け」)
 翌日から本格的に査察が始まった。一行は分刻みともいえる予定をこなし、夜遅くに戻る。寝る間を惜しんで客間で報告書を作成する彼らに夜食を差し入れるのも、彼女の日課になった。

 少しでも彼らの労に報いたくて、オリヴィアはワゴンを押すメイドとともに客間を回る。

 最後に訪ねるのはフレッドの部屋である。彼はいつも誰よりも遅くまで起きて仕事をしている。
 宰相補佐官という責務を果たすために、彼が誰よりも努力していることを、オリヴィアはこの視察を通して知ったのだった。

 彼の部屋にはメイドをともなわずに入るのだけれど、彼の邪魔をするつもりはない。いつも他愛のない話をほんの数分するだけで引きあげる。
 ところが最終日はこれまでと様子が違った。

 フレッドが険しい顔で書類をにらんだまま、顔を上げない。軽く声をかけたけれど、オリヴィアに気づいているのかもわからない。
 何か問題でもあったのだろうか。

 今日はお酒ではなくカモミールティーにしよう、とお茶を淹れて退出しようとすれば、不意にフレッドが書物机から立ち上がった。
 驚いてカップを取り落としそうになる。それを彼が書物机の上に置いた。最近見せてくれるようになった、あの柔らかい笑みではない。しんとした、でもどこか苦しそうな目だ。

「どうかされたのですか?」
「……いや。手を貸してくれるかい?」
「こうですか?」

 オリヴィアがおずおずと右手を差し出すと、彼がおもむろにその手を握った。
 たったそれだけのことなのに、どくんと心臓が跳ねる。
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