国王陛下の庇護欲を煽ったら、愛され王妃になりました
「この家の女は皆、力持ちですよ」

「あなたも?」

返事の代わりに微笑む。

「お顔と傷を拭きます」

 ノエリアは布をお湯に浸し、軽く絞る。泥で汚れた黒髪の青年の顔をそっと拭ってやる。

「う……」

 泥が取れて顔が綺麗になった。うっすらと目を開ける黒髪の青年。ドキリとするほど美しい緑色の瞳だった。整っているだけでなく凛々しい顔立ちに、ノエリアは思わず見とれる。漂っていた視線がノエリアを捉える。ノエリアはハッと我に帰る。

「わ、分かりますか? 大変でしたね。もう安心ですよ」

 彼はノエリアを見て、その隣にリウがいることが分かって、大きく溜息をついた。ほっとしたのかもしれない。
よほど怖い思いをしたのだろうか。ぐっと目を閉じ、形の良い唇を結び痛みに耐えているように思えた。

(震えている……)

 ノエリアは、思わず彼の額にかかる黒髪を除けて額に手を置いた。安心して欲しかった。

「ほら、お顔、綺麗になりました」

 そう言うと、彼は目を開けた。怪我をしていない右手が伸びてきて、ノエリアの頬に触れた。綺麗になってから気付いたが、左の瞼に傷がある。瞳の色が、左だけ緑色の瞳が濁って見える。銀色の膜が張っているみたい。

「きみの、顔も……泥だらけだ……」

 絞り出すような声が、ノエリアの耳に低く響いた。少しだけ口元が笑った気がする。ノエリアはパッと自分の顔を触る。

(そうだった。わたしも汚れている。恥ずかしい)

「す、すみません」

「謝る、ことは、な……」

 言葉が途切れ、瞼を閉じ、彼は動かなくなった。

「え?」

 まさかと思い、唇に耳を寄せる。すると、浅い呼吸が聞こえた。ノエリアはホッと胸を撫で下ろす。リウも気付いて、ふうと息を吐いた。

「……眠ったようだ」

 黒髪の青年が寝息を立てるのを、少し見つめて、まだ安心はできないと思い直す。この傷では、痛みにのたうち回る可能性もある。

(少しでも、わたしにできることをしよう)

 お湯の入った桶で布を洗うと、泥と血がゆらゆらと漂う。ノエリアはまだ仕事があると、きゅっと口を結んだ。もしかしたら、今夜は眠れないかもしれない。

「ノエリア様、薬草箱をお持ちしました」

「ありがとう」

 ノエリアは、上部に金具の持ち手がついた、持ち運びができる木箱を受け取る。祖父のものだったそれは、かなり年季が入っている。小さな引出が複数あり、乾燥させた薬草、砕いたものや粉末のものなどを入れておくものだ。ガーゼと綺麗な布も用意された。リウは、マリエに詫びた。

「お騒がせしてすまない」

 リウは名乗り、申し訳なさそうにしている。きちんとした態度のリウに、マリエも腰を落として礼をする。

「ヒルヴェラ家にお仕えしています、マリエと申します。リウ様、ただいまお茶をお持ちします」

 マリエは下がって、すぐにティーセットを運んできた。少し離れたところで邪魔にならないよう、お茶の準備を始めている。もちろん、ノエリアが栽培した薬草のお茶である。

「こちらの彼、これから薬草による応急処置を施します」

「薬草? 手当ができるのですか。ここの家は医者かなにか?」

「医者ではありません。うちは祖父の代から薬草事業を持っていまして……いまは縮小しているのですけれど」

 縮小というか細々と、という言葉のほうが合っているかもしれないが。

「そうなのですか。不幸中の幸いとはこのことかもしれない」

 リウは胸に手を当て、ホッと息をつく。

「眠っているうちに、傷を洗浄して炎症や化膿止めをします。痛みで目覚めないとやりやすいのですが……」

「もし暴れるようなら、わたしも手を貸します」

「ありがとうございます」

 ノエリアは早速、傷口の消毒に取り掛かる。薬草箱から瓶に入った殺菌作用のある薬草を煮出した液体を振りかける。

(痛みで目を覚まさないか心配)


 少しずつ傷にかけて綺麗な布で血と汚れを吸い取る。そうしていると、黒髪の青年は呻いた。しばし手を離して様子を見ていると、眠りからは戻らないようだった。

「大丈夫そう。このまま続けます」

 何度も布を交換し、傷口が綺麗になるまで血と汚れを流す。そして、乳鉢で葉を磨り潰し軟膏と混ぜたものを、ガーゼに包む。それで傷口を覆い、上から包帯を巻いた。

「夜が明けたら、またガーゼを交換します。これはあくまで応急処置なので、医者に診てもらわないと」

 ノエリアは、頬に張りついた髪の毛を耳にかけた。黒髪の青年の胸が静かに上下するのを見て、リウを振り返った。見計らい、マリエがふたりにお茶を出した。

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