出稼ぎ公女の就活事情。
こうして考えてみると、わたしって呆れるほどリルのことを知らないのよね。
就業の契約書にはリルの名前も記入されたはずだけれど、リルがサインをしたのはわたしがサインをして渡した後。
わたしはリルの名前すらちゃんと知らないのだ。
もちろんその理由の一番がわたし自身であることは自覚している。
わたしが尋ねればきっとリルは教えてくれる。
たぶん邸の皆、ミラさんたちはわたしがこんなにもリルを知らないなんて想像もしていないんじゃないだろうか。
雇われた身としても、客人の身としても、知っていて当たり前なことだもの。
邸の使用人たちは皆リルのことを旦那様と呼ぶし、船で一緒だった騎士たちは隊長と呼ぶ。
外に出た時にあそこの邸はどなたのものか、と人に尋ねてみれば良いのかも知れないけれど、わたしが邸の外に出る時にはカルダさんあたりが引っ付いているのでそれもしにくい。
まあそれも言い訳でしかない。
何より、わたしが知ることを避けているのだから。
わたしがここにいるのは3ヶ月だけ。
その3ヶ月もすでに二月を過ぎて後わずかに一月。
それも過ぎればわたしは国に帰る。
帰ったらすぐにお父様に言うつもり。
一番国にとって条件のいい、わたしを高く買って相手と結婚すると。
ズキン、と胸が痛む。
わたしは卑怯者だ。
ちゃんと仕事がしたいとかなんとか言っているけれど、そのクセわたしがここにいる本当の、一番の理由は弟たちと学費のためでも仕事のためでもない。
ただ初恋の人のそばにいたかっただけ。
好きになれるかどうかも、好きになってもらえるかどうかもわからない人に嫁ぐ前に最後の思い出が欲しかっただけ。
しかもその相手は『リル』で、リルじゃない。
今のリルが何者かなんて、わたしには知る必要がなかったのだ。
むしろ知るのが怖い。
だから敢えて知ろうともしなかった。
それでも時にこうして疑問は頭に湧いてくる。
「ほんと、わたしって最低だわ」
思わず苦笑いが浮かぶ。
わたしの小さな呟きは、ミラさんの耳にほんのわずか何を言ったのかはわからないまでも届いてしまったようだった。
「リディア様?」
何か?と問いかけるミラさんに軽く首を振る。
「ううん。なんでもない。これ、すごく美味しいわ」
ふわりと笑って見せると、ミラさんは少しだけホッとしたように肩の力を抜いた。
「カカオは五年ほど前から南東部の一部で国策として大規模な栽培を初めているんです。品質の向上にはずいぶん苦労したという話ですが、リディア様のお口に合うなら、きっと他の人間の方にも喜んで頂けますね」
「ええ、きっと」
喜んで頂けるどころか、貴族たちはこぞって手に入れたがるだろう。
「良かった」
と、笑むミラさんの様子を見ながらわたしはカップに口をつけた。
温かくて甘い液体が喉を通っていく。
「でもミラさんはずいぶん詳しいのね?」
「あ、はい……。実は」
とミラさんは何故だかそわそわする。
「その、農場の責任者の一人が私の……恋人なんです」
頬を染め、俯いたミラさんの様子は可愛らしい。
「そう。結婚は?」
羨ましいな。
そうは思うけれど、嫉妬はしない。
ただ素直に恋人のことを話すミラさんはとても女らしくて可愛らしいと思った。
「実はカカオはフランシスカとの貿易の中心になる予定らしいんです。その交渉が上手くまとまったら、と」
「そう。とっても美味しいし、品質にも問題はないと思うわ」
きっと上手くいく。
貿易だけでなく、人間と獣人の仲も一緒に上手く行っくれたらいいのだけれど。
「……ええ。何事もなく上手く進んでくれるといいんですけど」
そう言ったミラさんはさり気なくわたしから顔を逸らしていて、わたしは気づかなかった。
その時のミラさんの顔に浮かんでいた、もの憂げな不安の滲む表情に。
就業の契約書にはリルの名前も記入されたはずだけれど、リルがサインをしたのはわたしがサインをして渡した後。
わたしはリルの名前すらちゃんと知らないのだ。
もちろんその理由の一番がわたし自身であることは自覚している。
わたしが尋ねればきっとリルは教えてくれる。
たぶん邸の皆、ミラさんたちはわたしがこんなにもリルを知らないなんて想像もしていないんじゃないだろうか。
雇われた身としても、客人の身としても、知っていて当たり前なことだもの。
邸の使用人たちは皆リルのことを旦那様と呼ぶし、船で一緒だった騎士たちは隊長と呼ぶ。
外に出た時にあそこの邸はどなたのものか、と人に尋ねてみれば良いのかも知れないけれど、わたしが邸の外に出る時にはカルダさんあたりが引っ付いているのでそれもしにくい。
まあそれも言い訳でしかない。
何より、わたしが知ることを避けているのだから。
わたしがここにいるのは3ヶ月だけ。
その3ヶ月もすでに二月を過ぎて後わずかに一月。
それも過ぎればわたしは国に帰る。
帰ったらすぐにお父様に言うつもり。
一番国にとって条件のいい、わたしを高く買って相手と結婚すると。
ズキン、と胸が痛む。
わたしは卑怯者だ。
ちゃんと仕事がしたいとかなんとか言っているけれど、そのクセわたしがここにいる本当の、一番の理由は弟たちと学費のためでも仕事のためでもない。
ただ初恋の人のそばにいたかっただけ。
好きになれるかどうかも、好きになってもらえるかどうかもわからない人に嫁ぐ前に最後の思い出が欲しかっただけ。
しかもその相手は『リル』で、リルじゃない。
今のリルが何者かなんて、わたしには知る必要がなかったのだ。
むしろ知るのが怖い。
だから敢えて知ろうともしなかった。
それでも時にこうして疑問は頭に湧いてくる。
「ほんと、わたしって最低だわ」
思わず苦笑いが浮かぶ。
わたしの小さな呟きは、ミラさんの耳にほんのわずか何を言ったのかはわからないまでも届いてしまったようだった。
「リディア様?」
何か?と問いかけるミラさんに軽く首を振る。
「ううん。なんでもない。これ、すごく美味しいわ」
ふわりと笑って見せると、ミラさんは少しだけホッとしたように肩の力を抜いた。
「カカオは五年ほど前から南東部の一部で国策として大規模な栽培を初めているんです。品質の向上にはずいぶん苦労したという話ですが、リディア様のお口に合うなら、きっと他の人間の方にも喜んで頂けますね」
「ええ、きっと」
喜んで頂けるどころか、貴族たちはこぞって手に入れたがるだろう。
「良かった」
と、笑むミラさんの様子を見ながらわたしはカップに口をつけた。
温かくて甘い液体が喉を通っていく。
「でもミラさんはずいぶん詳しいのね?」
「あ、はい……。実は」
とミラさんは何故だかそわそわする。
「その、農場の責任者の一人が私の……恋人なんです」
頬を染め、俯いたミラさんの様子は可愛らしい。
「そう。結婚は?」
羨ましいな。
そうは思うけれど、嫉妬はしない。
ただ素直に恋人のことを話すミラさんはとても女らしくて可愛らしいと思った。
「実はカカオはフランシスカとの貿易の中心になる予定らしいんです。その交渉が上手くまとまったら、と」
「そう。とっても美味しいし、品質にも問題はないと思うわ」
きっと上手くいく。
貿易だけでなく、人間と獣人の仲も一緒に上手く行っくれたらいいのだけれど。
「……ええ。何事もなく上手く進んでくれるといいんですけど」
そう言ったミラさんはさり気なくわたしから顔を逸らしていて、わたしは気づかなかった。
その時のミラさんの顔に浮かんでいた、もの憂げな不安の滲む表情に。