千一夜物語
翌朝、牙たちは辺りを偵察してくると言って黎を残して全員出て行った。

実は朝が苦手な黎はしばらくだらだらと部屋で寝て過ごしていたが、牙たちが一向に帰ってこないため、とりあえず宿を引き払うのは後にして外に出て大きく伸びをした。

宿の周辺は山林が散らばり、道が整備されていてまばらではあるが人も行き交っている。

黎は人を食い物だとは思っているが、全く交流しないわけではない。

狙うのは顔も身体も好みな女だけで、それも数年、数十年に一度食うか食わないか。


欠伸をしながらぶらぶら山を分け入ってあてもなく歩いていると――聞いたこともないような叫び声が聞こえた。


明らかに人のものではなく、黎は腰に差していた刀に手を添えて素早く声のする方へと向かって行った。

この世のものではないような叫び声――なんとも形容しがたい声を出していたものの姿が現れると、黎は思わず足を止めて目を真ん丸にした。


「これは…鵺(ぬえ)…か?」


それは伝説上の生き物とされていて、雷獣とも言われている滅多に姿を見せることのない妖だった。

顔は猿で虎の胴体を持ち、尻尾は蛇という様々な特性を持った妖で、その鳴き声を聞くと命を落とす者も居ると言われている。


その鵺が今、黎の前で胴体に大きな傷を受けて瀕死の声を上げていた。


「誰にやられた?人か?」


『…』


鵺が話すのかどうかも分からなかったが、黎は鵺に近寄って胴体に走る傷をよく見てそれが刀傷だと分かると、じわりと妖気を滲ませた。

それに――近くに何者かの気配も感じる。


「手当をしてやるから死ぬなよ。その前にお前に傷を負わせた奴の命を狩ってやる」


腰を上げた黎は、唇をぺろりと舐めて敢えて殺気を全開にした。


ここに居るぞ――そう知らせるために。

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