誘惑前夜~極あま弁護士の溺愛ルームシェア~

 一流ホテルの料理人として、仕事に忙殺されていた父は、ほとんど家に帰ってこなかった。母はよく冗談のように『うちは母子家庭のようなものよね』と、笑っていた。

 そんな母の笑顔が減り、ひとりでため息をつく数が増えたと気づいたのは、いつだっただろうか。

 おそらく中学校に入ったばかりの頃だったはずだ。

 だが自分は何もしなかった。いや、できなかった。
 自分になにができるのか、いや、なにもできるはずがないと思いこんでいた。

 そして『もしかしたら家族がバラバラになるかもしれない』という予測から、目を逸らしていた。

 むしろ考えれば、それが現実になるかもしれないと、明後日の方向に怯えていたのかもしれない。

 だから『好きな人と暮らしたい』と言って出て行った母に、小春は感情を爆発させることはできなかった。

 言いたいことも言えない。

 自分の言葉や態度で、なにかが変わるとも思えない。

 身内に対してすら、遠慮してしまう。

< 212 / 310 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop