ブロンドの医者とニートな医者
頼りたくはない先輩
四対物産の営業二課に配属されて、2年になる奏 愛子(かなで あいこ)は、今日も、同じ菓子パンをほおばりながら、野菜ジュースを一口飲んだ。
「好きだねえ、そのパン」
3つ先輩の滝宮 律子(たきのみや りつこ)は、ランチルームの椅子の隣に腰掛け、ふっと溜息を吐く。
しかし、律子も食堂に来ても、注文するのはコーヒーくらいで、買ってきたサンドイッチを手にしていることが多い。
「これ、おいしいんですよ」
「前も言ってなかった? そこの病院の前のパン屋のやつでしょ?」
「そうです」
「ふーん」
「この前テレビ出たみたいですよ。サイン置いてましたから」
「それが一番おいしいパン?」
「いや、別に…」
律子はそれ以上興味もなくなったのか、コーヒーに口つける。
「玲奈さん、昨日だいぶ落ち込んでましたね」
玲奈とは、フルネームはアボット玲奈、というイギリス人とのハーフの後輩だ。
モデルのような容姿でファッションも今時で可愛くてスタイルもよく、その上仕事もできるので、入社早々からよくモテている。
だが、昨日は珍しくスケジュール管理ミスで先方に怒られたようで、一日中不機嫌だった。
落ち込んでいた、という表現は、ずいぶんまろやかで日本人らしい。
「ってゆーか、自分のミスなのに、こっちに当たるのやめてほしいわ」
律子はそのまま言葉にする。律子も和風美人でスタイルがよく、その上主任として腕を発揮しているので、近寄りがたいくらいの存在だ。
今日も大きなイヤリングが耳元で揺れ、軽くウエーブされた髪の毛と共に随分大人の女性らしい。
「あ、そうそう! 聞いた? 庶務の山田さん、今度結婚するんだって」
「ほんとですか!!」
社内でも一番地味で通っているあの山田が。今年27になった律子も、同期の中では山田がいるから絶対に最後まで独身で残ることはないと豪語していたあの山田のまさかの結婚……。そしてその話題をしかも、律子が自ら出す……。
奏は、ちら、と律子を見た。
「でも、絶対相手イケてないよ。イケてたら、私死んでもいいわ」
奏は思わず吹き出し、
「ですよねー……へー、あの山田さんが……。社内じゃないんですよね?」
「うん。違うって。元々地方から出て来てたから、実家帰るんだってさ。同級生らしい。そんな結婚するくらいなら、しない方がマシだよね」
「…まあ…」
としか、言いようもない。実際奏も、律子も都内出身なので、仕事を辞めて地元に戻って結婚するという感覚がよくは分からないが、とにかく、同意しておくしかない。
「でも、高校から10年付き合ってたんだって」
「へー、すごいですね!」
そもそも、山田のことをよく知らないので、結婚したと聞いても大した感想は言えないので、一般論だけにとどめておく。
「……最高、何年くらい付き合ったことある?」
突如として、律子が、しかも小声で質問をふっかけてきた。
「……男の人とですか?」
「そうに決まってるじゃない」
律子は半分にらみ、すぐにパンに口を戻す。
「んーっと、……今が2年くらいだから、2年かな」
「えっ、彼氏いたの!?」
律子は、30センチほど背中を引いて、目を真ん丸に見開いた後、睨んだ。
「え、まあ……」
奏も、律子に彼氏がいるのかどうか、この2年の間に一度も聞いたことがなかったので、突然自分のことを言い出すべきかどうか迷ったが、嘘をつくのもよくないと思い、思い切って今言ったのだった。
「嘘! なんで今までその話してくれなかったの!!」
随分な剣幕で怒っているが、
「そういう話にならなかったので……」
の一言につきる。合コンを誘われたこともないし、周囲でもそういう話は出なかったし。会社の飲み会はよくあるが、男女混合でも特に何もならないし、ただの規則的な会に終始していたし。
「………、どんな相手?」
律子はこちらを見ることもなく、ただパンを食べるようなそぶりをしている。
「えっと……どんなって……」
一言じゃ言いにくいし、できればあまり……特に律子の事情を知らないだけに、言いたくはないのだが。
「えっと……」
「仕事は? 何してる人? え、社内?」
一気に質問をまくしたててくる。
「えっと、社内じゃないです」
「あそう。じゃ、どこ?」
どこって……。奏は仕方なく、
「……、東帝医大です」
「お医者さん!?」
その形相が恐ろしいものになっている気がして、顔を向けることはできなかった。
「まあ……」
「はー……そう。まあ、私の彼氏も医師なんだけど。北大だけどね」
「え」
ここで奏は、初めて律子に彼氏がいることを知った。
しかし、律子の顔は少し引きつっている。国立の東帝と市立の北大の差というわけではなく、ひょっとして、…整体師…ということも、ありえる。
いやしかし、外科医が偉くて、整体師が偉くないというわけではない。皆、医者は平等だ!とわけも、意味もなく自分に自信を持たせる。
「年は?」
「6つ上です」
「じゃあ、30か。医師歴何年?」
どういう質問だと思いながら、
「え、……さあ……」
そんなこと、彼氏に聞いたことないので、曖昧に答える。
「えっ、どういうこと!? 知らないの!?」
そんなこと、知る必要あるのかと思いながら、
「え……あんまり」
「本当に医師?」
いつもの疑惑的な視線を投げかけてきたが、
「うーん……。多分」
「時々、緊急手術でデートすっぽかされてない?」
最初のデートが確かにそうだった。その後も、この2年で3回くらいあったが、そういうものだと信じている。
「まあ、ありますけど…」
「気をつけなよー、最高のアリバイだからね」
「………」
心配してくれているんだか、なんなんだか……。
「でも、東帝医大かぁ……。外科?」
「えっと、脳外科だって……」
普段全く意識していないので、記憶をフルで引き出してから答えたが、
「脳神経外科でしょ」
「……」
そうだったかもしれない。
「そういう話、しないの?」
随分嫌疑の目を光らせているが、
「あんまり……」
「興味ない?」
「うーん……」
「私なんか、論文の話とか、そういう事ばっかりよ。私も話についていけるように、結構努力してる」
思いもつかない努力というものがあることに、奏は驚いて、固まった。
「どんな論文書いてるのとか、知らないの?」
何科なのかも曖昧なのに、知るはずもない。というか、手術をしているということから、診察もしているんだろうということは、なんとなく察しがついていたが、論文とか、そういうデスクワークをしていることを想像したことは、過去に一度もない。
「……」
「ちゃんと彼氏のこと、知ってる?」
そう、言われると、何も返事ができなくなる。……ちゃんと、彼氏のこと。ちゃんとってどういうことだろう。
律子はロレックスの腕時計を確認してから、立ち上がる。
「よかったら、相談乗るよ。いつでも言って」
「あ……はい……」
「好きだねえ、そのパン」
3つ先輩の滝宮 律子(たきのみや りつこ)は、ランチルームの椅子の隣に腰掛け、ふっと溜息を吐く。
しかし、律子も食堂に来ても、注文するのはコーヒーくらいで、買ってきたサンドイッチを手にしていることが多い。
「これ、おいしいんですよ」
「前も言ってなかった? そこの病院の前のパン屋のやつでしょ?」
「そうです」
「ふーん」
「この前テレビ出たみたいですよ。サイン置いてましたから」
「それが一番おいしいパン?」
「いや、別に…」
律子はそれ以上興味もなくなったのか、コーヒーに口つける。
「玲奈さん、昨日だいぶ落ち込んでましたね」
玲奈とは、フルネームはアボット玲奈、というイギリス人とのハーフの後輩だ。
モデルのような容姿でファッションも今時で可愛くてスタイルもよく、その上仕事もできるので、入社早々からよくモテている。
だが、昨日は珍しくスケジュール管理ミスで先方に怒られたようで、一日中不機嫌だった。
落ち込んでいた、という表現は、ずいぶんまろやかで日本人らしい。
「ってゆーか、自分のミスなのに、こっちに当たるのやめてほしいわ」
律子はそのまま言葉にする。律子も和風美人でスタイルがよく、その上主任として腕を発揮しているので、近寄りがたいくらいの存在だ。
今日も大きなイヤリングが耳元で揺れ、軽くウエーブされた髪の毛と共に随分大人の女性らしい。
「あ、そうそう! 聞いた? 庶務の山田さん、今度結婚するんだって」
「ほんとですか!!」
社内でも一番地味で通っているあの山田が。今年27になった律子も、同期の中では山田がいるから絶対に最後まで独身で残ることはないと豪語していたあの山田のまさかの結婚……。そしてその話題をしかも、律子が自ら出す……。
奏は、ちら、と律子を見た。
「でも、絶対相手イケてないよ。イケてたら、私死んでもいいわ」
奏は思わず吹き出し、
「ですよねー……へー、あの山田さんが……。社内じゃないんですよね?」
「うん。違うって。元々地方から出て来てたから、実家帰るんだってさ。同級生らしい。そんな結婚するくらいなら、しない方がマシだよね」
「…まあ…」
としか、言いようもない。実際奏も、律子も都内出身なので、仕事を辞めて地元に戻って結婚するという感覚がよくは分からないが、とにかく、同意しておくしかない。
「でも、高校から10年付き合ってたんだって」
「へー、すごいですね!」
そもそも、山田のことをよく知らないので、結婚したと聞いても大した感想は言えないので、一般論だけにとどめておく。
「……最高、何年くらい付き合ったことある?」
突如として、律子が、しかも小声で質問をふっかけてきた。
「……男の人とですか?」
「そうに決まってるじゃない」
律子は半分にらみ、すぐにパンに口を戻す。
「んーっと、……今が2年くらいだから、2年かな」
「えっ、彼氏いたの!?」
律子は、30センチほど背中を引いて、目を真ん丸に見開いた後、睨んだ。
「え、まあ……」
奏も、律子に彼氏がいるのかどうか、この2年の間に一度も聞いたことがなかったので、突然自分のことを言い出すべきかどうか迷ったが、嘘をつくのもよくないと思い、思い切って今言ったのだった。
「嘘! なんで今までその話してくれなかったの!!」
随分な剣幕で怒っているが、
「そういう話にならなかったので……」
の一言につきる。合コンを誘われたこともないし、周囲でもそういう話は出なかったし。会社の飲み会はよくあるが、男女混合でも特に何もならないし、ただの規則的な会に終始していたし。
「………、どんな相手?」
律子はこちらを見ることもなく、ただパンを食べるようなそぶりをしている。
「えっと……どんなって……」
一言じゃ言いにくいし、できればあまり……特に律子の事情を知らないだけに、言いたくはないのだが。
「えっと……」
「仕事は? 何してる人? え、社内?」
一気に質問をまくしたててくる。
「えっと、社内じゃないです」
「あそう。じゃ、どこ?」
どこって……。奏は仕方なく、
「……、東帝医大です」
「お医者さん!?」
その形相が恐ろしいものになっている気がして、顔を向けることはできなかった。
「まあ……」
「はー……そう。まあ、私の彼氏も医師なんだけど。北大だけどね」
「え」
ここで奏は、初めて律子に彼氏がいることを知った。
しかし、律子の顔は少し引きつっている。国立の東帝と市立の北大の差というわけではなく、ひょっとして、…整体師…ということも、ありえる。
いやしかし、外科医が偉くて、整体師が偉くないというわけではない。皆、医者は平等だ!とわけも、意味もなく自分に自信を持たせる。
「年は?」
「6つ上です」
「じゃあ、30か。医師歴何年?」
どういう質問だと思いながら、
「え、……さあ……」
そんなこと、彼氏に聞いたことないので、曖昧に答える。
「えっ、どういうこと!? 知らないの!?」
そんなこと、知る必要あるのかと思いながら、
「え……あんまり」
「本当に医師?」
いつもの疑惑的な視線を投げかけてきたが、
「うーん……。多分」
「時々、緊急手術でデートすっぽかされてない?」
最初のデートが確かにそうだった。その後も、この2年で3回くらいあったが、そういうものだと信じている。
「まあ、ありますけど…」
「気をつけなよー、最高のアリバイだからね」
「………」
心配してくれているんだか、なんなんだか……。
「でも、東帝医大かぁ……。外科?」
「えっと、脳外科だって……」
普段全く意識していないので、記憶をフルで引き出してから答えたが、
「脳神経外科でしょ」
「……」
そうだったかもしれない。
「そういう話、しないの?」
随分嫌疑の目を光らせているが、
「あんまり……」
「興味ない?」
「うーん……」
「私なんか、論文の話とか、そういう事ばっかりよ。私も話についていけるように、結構努力してる」
思いもつかない努力というものがあることに、奏は驚いて、固まった。
「どんな論文書いてるのとか、知らないの?」
何科なのかも曖昧なのに、知るはずもない。というか、手術をしているということから、診察もしているんだろうということは、なんとなく察しがついていたが、論文とか、そういうデスクワークをしていることを想像したことは、過去に一度もない。
「……」
「ちゃんと彼氏のこと、知ってる?」
そう、言われると、何も返事ができなくなる。……ちゃんと、彼氏のこと。ちゃんとってどういうことだろう。
律子はロレックスの腕時計を確認してから、立ち上がる。
「よかったら、相談乗るよ。いつでも言って」
「あ……はい……」