終夜(しゅうや)
 初めて吸った煙草の煙は、サクランボのような味がした。

「悪いが、俺は禁煙中だ。残しておくから、気が向いた時に吸えばいい。」

「禁煙中だと言うのに、人に煙草を吸わせるなんて。」

 そう思ったものだが、その後も仁は喫煙を続けていた。
 初めから、禁煙する気など無かったのだろう。

 仁はライターを持たず、いつも、小さなマッチ箱を持ち歩き、煙草に火をつけた後は、頭が黒く焦げたマッチ棒の燃えカスを、ガラスの灰皿の中に捨てていた。

 当時の仁がしていたように、私はマッチの箱を人差し指で手繰り寄せ、そっと箱を開けた。飲食店のレジの脇に置いてあるマッチばかりを集めていたのか、仁が煙草を吸う時には、傍らに店名入りのマッチがあった。

「小料理屋、すみれ。それと、エデンと言う名の喫茶店。行きつけの店は、そこだけだったね。本当は好きだったんでしょ、喫茶店の常連客だった、京子さんのこと。多分、私たちと同じ位の歳だもの。」

 優しく問いかけてみても、答えが返るはずが無い。
 だから私は、問いかけながら思い出す。
 仁と出会った時のこと、仁が私にしてくれたこと、そして、仁が……。

「もう、いいや。」

 暴れた時の疲れもあり、私は残っていた数本ばかりの煙草を手の平に乗せて、少し転がしてから、一本だけを残して、後は、わざと床に転がした。勢い無く転がる煙草は、床に仰向けに寝ている仁の所へと転がっていき、腕の辺りに当たって止まる。

「もう、いらないから。だから、あげる。」

 たった一本だけ残った煙草を咥え、マッチを擦って火をつける。
 辺りに漂うリンの臭いを感じながら、煙草に火をつけ、ゆっくりと息を吸う。

 煙草の先端が赤く燃え、白い巻紙が灰に変わる。
 立ち上る煙は、部屋の天井へと向かい、逃げ場を探すようにして消えていく。

「逃げられないのに……。」
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