隠れクール上司~その素顔は君には見せはしない~1
めちゃくちゃうれしい状況なのに、化粧もろくにしていない。
「店予約してないでしょ!!!」
美生はいつも通りだと思いながらも、沙衣吏に迷惑をかけてしまったことが申し訳なくて、荒い声を上げて、スマートフォンの向こうに話しかけた。
『あ、ごめんごめん。忙しくて忘れてて』
多人数に迷惑をかけながらも、予想通り呑気な航平の声だ。
「どうするのー。いっぱいだよー。3人は無理だって」
『あそう。じゃあ、ちょっと離れたとこだけど、なんかあったよ。そこでもいんじゃない?』
「えー。あの焼き鳥? もう、せっかくお風呂入ったんだけどー」
『まあまあ、1回入ったんならもう入らなくていいじゃない』
「絶対匂いがつくから入らなきゃダメなの!」
『えっと、じゃあ、今そっち向かってるから、とりあえず居酒屋にまわって、乗せるよ。でホテルの近くが焼き鳥だから、車停めてからそこまで歩くけどいい?』
「いいけど」
以外に答えはない。
美生は、すぐに切ると、
「すすす、すみません!!! 店予約し忘れたみたいで!! 私が代わりにしておけばよかったんですけど……すみません」
「いいって。いいって」
沙衣吏は本当になんともなさそうに笑ってくれていて、ほっとした。
「で、航平……湊部長はビジネスホテルに泊まるみたいなんですけど、その近くに焼き鳥屋さんがあるらそこ行こうって…。
今から車でこっち向かってるので、そこに乗って、ホテルに車停めて歩いて行こうってなったんです……」
「うん、全然大丈夫よ」
沙衣吏は家が中央区から1時間ほどかかるので、制服のままここへ直行してくれている。お風呂に入り、楽な服装をしてきた自分と違って窮屈だろうが、微塵もそんなことは感じさせない。
それにしても……航平君は確かにいい人だと思うけど、こういうしっかりものの沙衣吏とは合うのだろうか……。
いや、沙衣吏は仕事の中での湊部長しか知らないからなあ……。
多分、今日も本当に忙しそうに仕事してたから忘れたんだと思ってるだろうし。でなかっても、航平君は基本的にそういう気回しはしないタイプの人なんだ。
私も、それに早く気づけばよかった……。絶対忘れるって。しかも、この店は人気店だから、混むって。
「あ、来た」
レクサスRXの黒が居酒屋の前に停車する。
「沙衣吏さんは、後ろ乗ってください」
自然に言って、自分は助手席へ乗り込んだ。まずは、文句が言いたい。
「あははは、ごめん」
やっぱりいつもの調子でまず謝ってくる。美生はシートベルトをかけながら、
「私が予約しておくべきでした。航平君が予約してくれると思い込んでいた私が悪かったです」
「焼き鳥屋もおいしいでしょ」
「前も行ったとこでしょ?」
「行ったけど、良かったでしょ?」
「……」
今から行こうとしている店を沙衣吏の前で、悪くは言いたくない。
「カクテルないし…」
「あぁ、じゃあ作ってあげよっか」
「そういう問題じゃないし!!」
「じゃあどういう問題なの?」
背後で聞き覚えのある声がする。
いや、後ろには沙衣吏しか乗っていないはず。
「焼き鳥を食べながらカクテルが飲みたいってことでしょ」
航平の声などもはやどうでもいい。
「ああ、なるほど」
美生は恐る恐る振り返り、固まった。
そこには、いるはずのない、関 一 がいる。
息もできない。
「え、あ、3人もなんだから、1人呼んどいた」
はあ!?!? の声はもはや出ない。
美生はそのまま黙って前を向き、静かに心臓の高鳴りを聞く。
「で、僕の部屋は取っといてくれたんですよね?」
「あ、そうだ…自分のも取ってない」
なんでそんなに忘れるのよ!!
「じゃ、取りますね」
もう……関に申し訳ない……。
とりあえず、ビジネスホテルの駐車場に停車したが、
「空き1つしかないですよ」
「ツインならいいけど」
「シングルです」
「じゃぁ無理だな」
「私が他のホテル取りますから。部長はチェックインしてきて下さい」
「はいはい」
航平は車から降りる。
美生も同じように、外へ出た。
「ちょっと……」
美生は航平の腕をつかんで、小声で、しかし、揺るぎない怒り口調で迫った。
「なんで、関店長呼んでんのよ!!」
「いやー、目の前にいたから」
いつも通りの気の抜けたような笑顔を見せてくる。
「は? なんでよ。電話の時、誰もいないって言ったじゃない!!」
「話してたら偶然来たんだって!」
「…なら仕方ないけど……。なんでホテルも取ってないのよ! 店も予約してないし!」
「だからそれはそう、忙しかったんだって! 知ってるだろ?」
と、言われれば、手を放すしかない。
「……チェックインするからついてきて」
「……なんでよ」
「いいから」
わけも分からずチェックインに付き合わされて、車に戻る。と、2人も外に出て来た。1分ほど歩き、焼き鳥屋に到着する。
混んではいるが席がないほどではない。
4人はなんとなく男女隣同士で畳の上に座ると、汚い鉢の上に網を乗せるスタイルで焼き鳥を焼きながら飲み始めた。
せっかく、めちゃくちゃうれしい状況なのに、私ったら、化粧もろくにしていないし、服だって適当な物を選んできてしまっている。
ネイルは少し剥げてしまっているし、下着もそろえてないし。
店だってこんな汚いところだし、目の前には、航平君だし。あ、沙衣吏を思って逆にすれば良かった。
と、沙衣吏を見る。
ハイボールのグラスを両手で持ち、優しく微笑み飲みながらも、焼き鳥を丁寧に焼いていく姿は、航平にはもったいない気しかしない。
でも……。航平もあれで営業部長だし。副部門長の沙衣吏からしたら、勝ち組ともいえる結婚だとは思う。
「………」
「美生ちゃんは、食べないの?」
航平が不躾に聞いてきた。関がこちらを見ている。その呼び方はこの場では辞めて欲しい。
「いや、そういうわけじゃ……」
好きな人を目の前に、酎ハイ片手に、食べにくい串焼きを食べられるはずがない。
航平はそう聞きながらも、関相手に仕事の話を続けているし、もう、なんだか色々終わった気がして仕方ない。
「……、はい」
「え……」
なんと沙衣吏は。こちらの意を完全に察して、トングで串から肉を外し、小皿に乗せてくれたのだ。
「あ……ありがとう!!」
すごい人だなあ、本当に。
美生は、溜息をついてから、肉を一口食べた。
おいしいんだか、どうなんだか、味が全然分からない。
「美生ちゃんはさ、結婚願望あるの?」
何故このタイミングで航平からそんなセリフが出るのか、前の話を全くもって聞いていなかったので、
「………」
無言になるしかない。
「湊部長は独身なんですか?」
沙衣吏の素早い返しに、比較的すぐ生き返る事ができる。
「うんそう」
「ご結婚のご予定なんかは……」
沙衣吏は声だけは控えめだったが、言葉は随分強引だった。
「ないねえ。する気がしない」
やっぱりそうなんだ……。なんだか本当に申し訳ないな……と思いながら、関が新しいビールを注文したので同じように酎ハイを頼み、肉をまた1口食べる。
沙衣吏もその意味を確信しているはずだが、全くそのようなそぶりは見せず、むしろ、何のことかしら、といった風に受け流した。
「一君は?」
息をのんで、黙り込み、周りの雑音を一切排除する。
「……そういうのはセクハラに当たると思うんですが」
やられた……。
「……随分ガードが堅いねぇ」
航平は笑いながら、路線を変更していく。