隠れクール上司~その素顔は君には見せはしない~1


 あれで、会話が済んだことにすればいいのか、迷ったが、その後話すタイミングは一度もなかった。

 正確には、見かけることすらなかった。

 ただ、遠い壁を感じる。 

 あの日あんなに近くにいたことが、まるで夢のようだった。

「……」

 もう少し、見ることでもできたら、いや、話をすることができたら……と思うが、うまくはいかない。

 というかすでに、結構恋愛の対象外になったのかもしれない。

 溜息を吐きつつ定時で帰ろうと、ロッカーを閉めたと同時に電話が鳴る。

 無心で出ると、表示には「湊 航平 君 部長」と出ている。


 航平君にも随分な口をきいたな、謝らないと、と思いながら素直に出た。

「はい」

『今日仕事?』

「うん。今から帰るとこ」

『俺は休み。ラーメンでも行く?』

「ラーメン……」

『フレンチ?』

「……いや、ラーメンでいい」

『そう?』

 航平は、色々察して小さく笑った。

「家に迎えに行くよ」

「うん。着いたらメールする」


 航平が選んだ店は、普通のチェーン店のラーメン屋だった。午後19時だし、まあまあ空いている。

「あ、言うの忘れてたけど、今日は1人だから」

 航平は席に着くなり笑ったが、美生はそれに乗る気にはなれず、精一杯恥をさらけ出して、

「なんか……この前はごめん」

 一言謝った。

「え?」

 それ以上何も言わないので、仕方なく、

「なんか、……私……すっごい失礼な事言った」

「まあいんじゃない? 昔からの知り合いだってみんな知ってたんでしょ?」

「………まあ」

 沙衣吏に詳しい話をしているところは伏せておかないといけない。

「これに懲りたら飲みすぎには注意すること」

「…そんなに飲んだ気はしないけど」

「全然食ってなかったし……一君を前にして、随分緊張してるように見えたから」

 知ってて!!!

 あもうこの人やっぱり最悪だ!!
 知ってて誘ったんだ!!

 口から出かかったが、今謝ったところなので、必死で黙っておく。

「まあ、人気あるけどね、実際いい男だし。
 いつ頃から好きなの?
 そういう話は全然出さなかったね」

「………」

 湊の意図が見えず、

「ご飯頼もう」

 先に注文を促す。

 湊はラーメンセット、美生はラーメンのみを注文すると、再び黙った。

 湊が関のことを察するとは想像もしなかったので、こんな風に真剣に話を聞いてこようとするとはまさか思いもしなかった。

「さっきの話に戻るけど」

 随分執拗に聞いてくる。

 美生は、とりあえず、目を合わせた。

「入社してから好きだった、とか?」

「そんなに前じゃないけど……」

「じゃあ、東都の店長になった時くらい?」

 単に興味本位で聞いてきているんだとは思う。

「……まあ……」

「2年か……。相談してくれたらよかったのに」

 笑う航平に、そういうキャラじゃないでしょ……と内心突っ込む。

 ラーメンが運ばれてくる。

 航平は、静かに食べ始めた。

 仕方なく、美生も黙って食べる。

 いつもの居酒屋で仕事のことを的確にアドバイスする、いつもの航平ではないことは十分に分かっている。

 だいたい、こんな短いスパンで食事に行ったこともない。

 何か言いたいことがあるのかもしれない、とふと良い方向に悟った。

「じゃあ、もし相談してたらどうなったの?」

 ラーメンを半分ほど食べたところで、そう聞いた。航平は6割ほど食べている。

「そうだね……」

 また残りを食べ続ける。なんだか、食べながら考えているようだ。やっぱりこの話題をふってきた意味は特になかったらしい。

「……今日は休みだったんだね……」

 どうでも良くなって、ただの世間話に転じることにする。

「うん。明日も休みだけど、明日は美生ちゃんが遅出だから」

「シフト見て電話かけてきたの!?」

「まあね」

 今まで電話がかかってきて、食事に行くという流れが多かった中、遅出にも関わらず電話をかけてきたことも幾度もあった。

「え、何か言いたいことがあるの?」

「……まあ、どうとるかは美生ちゃんに任せるけど」

 はっと思いついて、

「え、まさか、沙衣吏さんのことをいいと思った?」

 真剣に聞いたのに、

「はあ?」

 怪訝な顔でもって、返してくる。そういうことでは、本当にないらしい。

「言わなかったけど、僕はもう誰ともどうにかなるつもりはないから」

「…………」 

 あれから10年近く経ったのに、お姉ちゃんとのことが、やっぱり傷になつてるんだ……。

「なんか……ごめんね……」

 謝る以外の言葉が見つからない。

「あいや、美生ちゃんが……誰かに謝ってほしいとは思ってない。
 自分がやっぱり、ツメが甘かったというか……彼女を満足させられてなかったんだと思う。そこは真摯に受け止めてる」

 絶対そんなことないのに、うちのお姉ちゃんが勝手なだけなのに……。

「まあ正直、中津川さんが行きたいと言ったんだろうけど、迷惑だったよ」

「ごめん!!」

 ラーメンはまだ少し残っているが、食べる気がしなくて箸をおいて、頭を思い切り下げた。

「でも、僕もあんな所で誘ったのが悪かった。今後は注意しないとな」

「…………でも、そのあの。今言うとまずいのかもしれないけど、けど……。沙衣吏さんは結構航平君のこと、気に入ってたと思う」

「ま、役職がそう見えさせるんじゃない? 部長とか店長とか、そういう風に見られがちだからね」

 若干ディスってくるが、無視して、

「沙衣吏さんはそんな感じじゃないと思うんだけど……」

 その話に終始しておく。

「あれきりだからね」

 随分念を押してくる。

 やっぱり……また今度という言葉は嘘だったんだ。

「でもまた行きたいって言ってたし……」

「なら直接電話かけてきていいよ。断るから」

「………」

 はあ………。そんな頑なに拒否しなくても……。

 でも、お姉ちゃんと沙衣吏さんは全くタイプが違う気がするから、仕方ないか……。

「で、美生ちゃんはどうなの? 一君のこと」

 航平は食べ終えたと同時に聞いてきた。

「ど、どうって……」

「この前はめちゃくちゃテンション上がってたね。僕にはボロクソだったけど」

「ごめん!! だからごめんって!! だってさ、だってさ。私、ずっと好きだって、全然話もしたことなくて、それが、急に、目の前でごはん食べるって、無理でしょ!!」

「あぁ、それで喉がつかえて肉が食べられなかったの?」

「………」

 とまで明確に言われれば、恥ずかしさしか残らないが。

「あのさ………」

 航平は急に辺りを見渡す。

「先、外出ようか」

「……うん」

 何をそんなにもったいぶることがあるんだと思いながら、いつも通り航平が会計を持ってくれて、型通りお礼を言い、レクサスに乗り込む。

 9月だが、まだ充分蒸し暑い。

 ラーメン屋の駐車場は広く、場所に余裕があったので、そのままアイドリングしたところで、航平はようやく口を開いた。

「これは、どこにも出てない個人情報だけど、美生ちゃんにだけ言う。だから、頼むから絶対に他言しないでほしい」

「え?」

 全く何を言い出すのか理解できず、ただ航平のその真剣なまなざしを見つめた。

「……一君は、今子供と住んでる」

「え!?」

 予想をはるかに超える個人情報に、ただ航平の顔を見つめた。

「絶対内緒ね」

 微かに笑ったが若干失敗したように見える。

「ちょっとごめん」

 航平は、断ってから助手席のダッシュボードを開け、煙草の箱を取り出すと、窓を半分ほど開けた。
クーラーを1℃下げる。

「タバコ……吸うんだ……」

「うん。たまにね。美生ちゃんの前では吸ったことないけど」

 言いながら、確実に外へ煙を吐き出し、煙草を持っている手も窓の外へ出す。

 見たこともない航平の姿に、改めて大人だったんだということを感じ、先日への後悔が更に高まったが、

「…………」

 子供……。

「子供って、結婚してるって事?」

「じゃない。だから、人事も知らない」

「じゃ誰の子? 自分の子? 元奥さんの子?」

 最後の元奥さんの子というのは、勝手な決めつけだ。

「…」

 航平は軽く首を振る。

「その、どれでもない」

「え?」

 って、どういう……。

「僕も、今詳しくはどうなってるのかは知らない。だけど、子供を預かることに、というか自分が育てると決めたんだ」

「え、赤ちゃん?」

「さあ、年は…小学校だけど、来年中学くらいじゃないかな」

「…………それで、店舗に降りてきたの?」

 もう何を考えているのか自分でも分からなかったが、パッと口からその言葉が出た。

「うん……。営業は出張が多いからね…」

「小学生と2人で……」

 もう、何がなんだか分からなくて、同じ言葉を繰り返すしかない。

「実際には、小学生の叔母さんもいる。いる時はいる、みたいな感じで。いつもはいないらしい。この前飲みに行った時は、子供は修学旅行で、叔母さんは入院してるってことだったから、息抜きの意味も込めて誘ったんだ」

「ごめん!!!」

 何も知らず、喚いたことを心底後悔し、涙がにじむ。

「私、何も知らなくて…めちゃくちゃ喋って……」

「あ、いや、もちろんそれは誰も知らないから…。
 妙に知られて気を遣われたくないだろうし。営業の人は薄々知っている人はいると思うけど、正式に何か書類になってるわけではないから。住所は一応自分のアパートは持ってるみたいだしね。カムフラージュだろうけど」

「…………」

 涙はすぐに乾いてくる。

「だけど、僕が言いたいのは。簡単じゃないよって事。アイツの根は深いよ」

「…………」

 なんだか、いつもお店で比較的笑顔でいるような気がしてたけど……あれ……違ったんだ……。

「全然……気が付かなかった」

「そうだろうと思うよ。
 まあ、今回のことで、美生ちゃんが一君のことをよく思ったんだとしたら…。そのうち告白したりね」

「えっ……いや……」

 それってしても大丈夫って意味!?

「そうしても、確実に断られるから」

「…………」

 今度は本当に涙が溢れてくる。

「………意地悪で言ってるんじゃないよ」

 航平は煙草を吸い切り、車の灰皿で短くなった物を押しつぶすと、最後の煙を外へ吐きだしてから窓を閉めた。
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