初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
「落ち着いてください。これでは、伯爵家の縁者がイルデランザの公爵家嫡男に対して暴力沙汰を起したこととなり、お父上に多大なるご迷惑が掛かります」
 父に迷惑がかかると言われ、一瞬怯んだアレクサンドラから手を放すと、アントニウスは向かいのソファーに座った。
「とりあえず、人払いはしましたが、ここは国王のプライベートガーデンではありませんから、壁に耳ありです」
 アントニウスは殴られて腫れた頬を冷やそうともせず、まっすぐにアレクサンドラの事を見つめた。
「あなたは、本当に私が誰かに秘密を話したと思っていたのですか?」
 アントニウスは失望したように問いかけた。
「他に疑う相手は? 使用人や、下僕や、秘密を軽々と金に換える輩は沢山います」
 アントニウスの言葉にアレクサンドラは頭を横に振った。
「昨日、王宮に呼ばれ、ロベルトから苦情を受けましたよ。あの舞踏会の日以来、ジャスティーヌ嬢が手紙にも一切返事をくれないし、一筆でいいから、一行でもいいから、具合が良くなるまで待つという使いをけんもほろろに追い返したと言ってね。彼の推理では、あの晩、私がアレクサンドラ嬢に破廉恥な真似をし、ジャスティーヌ嬢はロベルトが私の共犯だと思って怒っているに違いないと言っていました」
 アントニウスの言葉を『はいそうですか』と信じられるほどアレクサンドラの心は穏やかではなかったが、確かに、あの日以来、ロベルトから手紙や贈り物があってもジャスティーヌが喜ばず、お見舞いの花でさえ部屋に飾らずに母のサロンに飾らせていることはアレクサンドラも気付いていた。
「でもジャスティーヌは、あなたが秘密を知っているのだろうと、はっきり訊いてきました」
 アレクサンドラは言うと、正面に座るアントニウスの事を見つめた。
「あの賢いジャスティーヌ嬢の事です、もしあの晩、私が窓から出入りしているところを下男か誰かに目撃され、それが耳に入れば、いつもなら引き留めるどころか、すぐにでも屋敷にジャスティーヌ嬢を自分の馬車で送るだろうロベルトが引き留めるという不自然な行動をとったこと、私が舞踏会の途中で姿を消したこと、そんな些細な情報から一番可能性の高い、秘密を知られてあなたが私に脅されているという結果にたどり着くのは簡単な事でしょう」
 ソファーに向かい合って座り、諭されるように言われると、アレクサンドラも自分の軽率な行動がジャスティーヌにアントニウスに秘密を知られているという確信を持たせてしまったことに気付いた。
「こまりましたね」
 アントニウスは言うと、ソファーの背に寄りかかった。
 最近はドレス姿を見慣れていたせいか、体の線がはっきりと際立つ男姿のアレクサンドラを見ていると、抱きしめたい、触れあいたい、あのバラ色の唇に口づけしたいというような欲求がここぞとばかりに沸き上がってくる。
「私がバカだったから、ジャスティーヌにまで秘密が・・・・・・」
 アレクサンドラは言うと、言葉に詰まった。
 ついこの間まで、気にすることなくするすると出て来た男言葉が、今は意識してもはしたなく思えて出てこない。これでは、アレクシスではなく、男装をしたアレクサンドラだと言って歩いているようなものだった。
「とにかく、まず一点、大きな誤解を解かなくてはなりません」
「誤解?」
 アレクサンドラは鸚鵡(おうむ)返しに返した。
「ええ、この問題を大きくしている、一番の問題です」
 アントニウスは言うと、咳ばらいをした。
「あの晩、私があなたに指一本触れていない事は、あなたが一番よくご存知のはずです。この点をはっきりとジャスティーヌ嬢に説明して戴ければ、ジャスティーヌ嬢の誤解は解け、ジャスティーヌ嬢とのロベルトに対する怒りも静まり、そうすれば、ロベルトとの私に対する怒りも静まります」
 アントニウスの説明に、アレクサンドラは無言でコクリと頷いた。
「さて、それから、大事なお話があります。本当は、お宅に伺ってお話したかったのですが、こうなっては仕方がないので、今ここでお話します」
 アントニウスは居住まいを正すと、優しい瞳でアレクサンドラの事を見つめた。
「私は、あなたの社交界デビューが終わったら、国に帰ります」
 さすがに、本人を前にアレクサンドラの社交界デビューの支度につぎ込んだお金のことで父の怒りを買い、国に戻らなくてはならなくなったとは言えないアントニウスだった。
「えっ! そんな・・・・・・」
 喜ぶかと思っていたアレクサンドラは、驚くと困惑を露わにした。
「あなたにとっては、あなたやジャスティーヌ嬢の幸せを邪魔するかもしれない邪魔者は消えるのですから、嬉しいことでしょう?」
 少し皮肉っぽく言われ、いつものアレクサンドラならば一言も、二言も言い返しただろうが、アントニウスが帰国するという知らせに、アレクサンドラは何も言う事が出来なかった。
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