初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 王宮から戻ったマリー・ルイーズを待っていたのは、厳しい表情を浮かべたアーチボルト伯爵だった。
「アーチボルト伯爵、この度は、ミケーレの迂闊な行動、お許しくださいね」
 マリー・ルイーズは、正直、心ここにあらずと言った様子で、通り一遍、言葉だけの謝辞を述べた。それに対して、ルドルフは言いにくそうに居住まいを正した。
「お出かけの所をお邪魔し、大変失礼いたしました。じつは、折り入って、マリー・ルイーズ様にお願いがございます」
 ルドルフの言いにくそうな様子から、マリー・ルイーズはアントニウスとアレクサンドラの事を話しに来たのだと察した。
 本当ならば、喉から手が出るほどに欲しいアレクサンドラではあったが、立場と言い、アントニウスの病状がわからない今、今までの事は全てなかったこととして欲しいとルドルフに頼まれれば、それを拒むことはマリー・ルイーズにもできなかった。
 すべては、アントニウスが回復し、妻を娶ることのできる状態である事が判明してからという事になる。生死も危うい今の状態で、引き続きアレクサンドラをアントニウスの婚約者同然に扱い、他の貴族の子弟達から引き離しておくことはほとんど可能に思えた。
「アーチボルト伯爵、何もおっしゃらなくて大丈夫です。アントニウスとアレクサンドラさんの事は、すべてなかったことに致します」
 マリー・ルイーズが言うと、ルドルフは更に困った表情を浮かべた。
「実は、大変申し上げにくいのですが、我が娘、アレクサンドラが申しますには、アントニウス殿との婚約は、二人の間では成立していると・・・・・・」
「なんですって!?」
 あまりの事に驚きを隠せないマリー・ルイーズが声をあげると、ルドルフは、やはり財産目当てと疑われたかと、渋い顔をした。
「ですが、アントニウス殿のお気持ちを確認できない今、私共はそれを公にするべきではないと考えているのですが、アレクサンドラがどうしても、マリー・ルイーズ様に同行し、メイドでも下働きでも構わないから、アントニウス様のお傍でお世話をさせて戴きたいと申しまして、こうしてお願いに参った次第でございます」
 ルドルフがアレクサンドラの想いを伝えると、マリー・ルイーズは絶句した。
 どのような良縁であろうとも、本来、婚約者の生死も危ぶまれるような状態にあるのに、政治的にいかようにも生かすことができるアレクサンドラという駒を惜しげもなく、本人の望みを聞いて手放す覚悟のできるアーチボルト伯爵、ルドルフにマリー・ルイーズは言葉に表すことのできない偉大で尊いものを感じた。
「父としては、ポレモスと開戦中のイルデランザに娘を送ることは心配ではあります。ですが、あのアレクサンドラがアントニウス殿のために、メイドや下働きとしてでもマリー・ルイーズ様について参りたいという以上、父親の私にも止めることはできません。もしも、アレクサンドラの想いがマリー・ルイーズ様のご意向に沿わぬものでしたら、どうぞ、お断りください。そう致しましたら、私からそのように申し伝えます。どうか、ご判断を・・・・・・」
 ルドルフは言うと、深々と頭を下げた。
「アーチボルト伯爵、いえ、ルドルフ。お判りと思いますが、もし私がアレクサンドラさんを伴って帰国すれば、それは、二人の婚約が成ったという事。万が一にも、アントニウスがこの世を去ることになれば、アレクサンドラさんは寡婦も同じ。次の良縁は望めなくなるでしょう。それでも、いえ、そのお覚悟はございますの?」
 マリー・ルイーズの問いに、ルドルフの表情が穏やかになった。
「もとより、あのはねっかえりは、アントニウス殿とのお話がなければ、所領内の修道院に入れるところでした。故あって、ロベルト殿下の見合い相手にと名が挙がり、慌てて社交界にデビューさせましたが、先日もバルザック侯爵家のご嫡男と揉め事があり、そのせいで陛下の家臣たちの私を見る目が変わってしまいました。このようなことは、私の望まぬこと。アントニウス殿にもしもの事がとは考えたくはございませんが、仮にも伯爵家の娘がメイドや下女に身をやつしてもお傍に馳せ参じたいと心に決めた相手。ここは、陛下が自由恋愛をお許しになっているエイゼンシュタインでございます。例え寡婦となろうとも、お傍で過ごすことができれば本望。本人も望んで修道院に入りますでしょう」
 ルドルフの言葉に、マリー・ルイーズは涙が溢れてくるのを止められなかった。
「なんという深い愛と信頼でしょう。ああ、私にもお兄様があなたを重用する理由が、やっとわかりました。アレクサンドラさんが一緒にいらしてくださるならば、百人力です。きっと、アレクサンドラさんのお声を聴けば、アントニウスはすぐに目を醒ますことでしょう」
「では、私はお暇つかまり、アレクサンドラの旅支度を済ませるように致します。マリー・ルイーズ様は、今晩ご出立でいらっしゃられますか?」
「ええ、ですが、アレクサンドラさんは後からでも・・・・・・」
「いえ、アレクサンドラには、マリー・ルイーズ様のメイドになったつもりで、しっかりとアントニウス様にお仕えするように申し伝えます。では、準備が整い次第、アレクサンドラをこちらに参らせますゆえ、よろしくお願い申し上げる」
 ルドルフは深々と長く頭を下げ、それからザッカローネ公爵家のサロンを後にすると、すぐに馬を走らせて屋敷へと戻って行った。

「ミケーレ、陛下にアレクサンドラさんがアントニウスの婚約者として私と同行することをお伝えする手紙を書きます。すぐに、王宮に届ける手配を!」
 マリー・ルイーズは指示を出しながら、サロンの隣にある書斎の引き出しから、ザッカローネ公爵家と王家の二つの刻印が刻まれた便箋にリカルド三世への手紙を認めた。

☆☆☆

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