God bless you!~第10話「夏休みと、その失恋」

「うん」

次の日、朝からずっと雨降り。
スマホに付いた水滴を払い、タオルで荷物を拭き、頭を振って水滴を払い、校舎棟の入り口でノリと別れて教室に入ると、もう来ていた桂木と目が合う。
結局、志望校の件はどうしたのか。
その話は後で……今は目と目で会話して(?)お互いのそれぞれに気を取り直した。
大学案内。赤本。模擬試験。大学訪問。志望校の過去問。
周囲も、それぞれが目の前に必死である。
見た所……1時間目の数学の宿題を広げている輩は皆無だった。
俺が堂々広げると、「どれどれ」「待ってましたァ」「あ、落ちてた」と仲間がゾロゾロとやって来て、横から狙う。「間違っても知らないからな」と、一応釘は差した。
そこへ、ドガドガドガドガ♪と意味不明の歌を歌い、雨以上に鬱陶しい永田がやって来た。顔色の悪い仲間達から顰蹙を喰らっても、お構いなし。
よくそんな元気があるな、と感心する。
まだ来ていない黒川の机に座り、何処から調達してきたのか、エロ本を心ゆくまで眺めたあげく、「ここに置いとくゼ!」と頼みもしないのに、何故か俺の机の上に開きっ放しで放り出す。
雑誌の見開きページには、
〝彼女をイカせるマル秘テク 今年の夏はこれで×××〟
そこまでやって来ていた女子が躊躇して取って返すほどの露骨なイラストページに、感心するどころの話ではない。他の女子も教室に入ってくる時分で、こっちの人格を疑われる危険性を孕む。ページを閉じて、黒川の机に放り投げた。(開いとけばよかったか。)
その黒川の前の席、右川が時間ちょうど、まるで別人みたいに登校して……と気付いたのはHR直前の事である。
「くそチビ!……普通に間に合ってるしッ」
再びエロ本を眺めていた永田が(何回見れば気が済むのか)、呆気に取られるくらい、いつの間にか音も無く、右川はちょこんと席に就いていた。
幾分、髪が短くなった。切ったのか。
その分、天パーがうねりを増している。
白シャツは、しわ1つ無い。いつもの大きなリュックが見当たらない。
持ち込んだスクールバッグは、まるで真新しい新品のように、汚れ1つ付いてなかった。
始業チャイムと共に先生が入ってきて、永田が慌てて自分の席に就く。
うっかり右川の机上に置き忘れたエロ本。全く気付かない様子で、右川はまずノートを広げ、続いて教科書を取り出し、何故かそれではなくエロ本の方を開いて、ぼんやりと開いたページを見つめる。
〝女子高リサーチ ここなら狩れる!溶けた放課後〟
よく見ると、取り出した教科書は英語の文法だった。
1時間目は数学・基礎解析だが。現状に気付く様子も無い。
全体的に、生気を感じない。まだ立ち直っていない……。
前からプリントが回って来て、右川がそれを後ろに回す時、ちょうど目が合った。その眼差しは、余計なことを喋るな、と脅迫するほどの迫力も無かった。
右川は、バツが悪そうにすぐに前を向いて……そこに始業ギリギリで黒川が教室に入って来る。
右川に挨拶代わりに手を上げ、やっぱりエロ本にはギョッとして、それでも平静を保ってとりあえず自分の席に落ち着いた。
「どうしたどうした。それ、面白いのかよ」
右川は、黒川を振り返りもせず、「うん」と、いつもより静かに返した。
「おいおい。抜け殻みたいになってんだけど。どうすんだよ、夏だぞ」
「うん」
「じゃ、今日からオレらは」
黒川は、念押しするみたいに右川の肩を叩いた。
うん。
うん。
うん。
最後まで会話は噛み合っていない。
結局、右川は最後までそれと気付かないまま、教科書とプリントの間に挟まれたままの永田のエロ本を持ち帰ってしまった。
あの様子だと……立ち直るまでには相当時間が掛かりそうだな。
晴天の霹靂。一気に奈落の底という大失恋。
全く疑ってもいなかった事が奇跡だと思う。
ていうか、普通、気付くだろ。
それほど山下さんに盲目的だったという事だ。
自身を顧みて、向き合って、乗り越えるしかない。きっと、今は誰が何を言っても、自分以外にどうにも出来ない事。
放課後になって、クラスのあちこちから仲間が集まり、寄ると障ると三者面談を嘆いた。
「原田先生にさ、この夏が勝負だって脅されちゃって」と愚痴った男子を、隣の輩が慰める。「あの先生、それいつも言うじゃん。連休が勝負だー、とか。冬休みが勝負だー、とか」
それ、俺も言われた。みんな何度言われた事か。
周囲は受験一色。俺も、人の事に構ってる余裕なんか無い。
そこに桂木がやってきた。
「ね、今日ってどうする?」
生徒会に顔を出して、部活も一応覗いて……いつも通り、と俺は答えた。
目が合う。
桂木が首を傾げる。
こういう時、思うのだ。
俺自身が何かしら言いたげな顔で、こうやって桂木の当惑を誘っている?
「あのね」
桂木から、あの志望校の一件が語られる……と思った所、
「あたし、今日は外で勉強しようかな」
「図書館?」
「ううん。駅向こうの予備校。自習室なんだけどね。誰でも入れるの」
〝部活終わったら、来ない?〟
それが言いたくて?言いづらくて?
以前の、遠慮がちな桂木が顔を覗かせる。
いつまでも俺の返事は待てないと「じゃね」と素っ気なく行ってしまった。
こういう場合、桂木は、なんて事無い振りを装う。
俺は、わざとらしい上の空を演じる。
結局、志望校の件はどうしたのか。
周囲に人が居るから、今は話しづらかったと言うことは想像が付く。
かといって、メールとかラインとか……俺は軽々しく訊けずにいた。
こんな大事な事、面と向かって聞く以外に許されない気がして。
右川をどうこう言えない。これも、自分以外にはどうにも出来ない事。
ノリに頼まれたノートを取り出して、取りに来るようラインした。
ノリが部活に出るなら、予定通り俺も顔を出そう。ノリが居ないときは……レポート。提出課題。やることは山積みだから。情けない話、生徒会室以外、行き場が思いつかない。まるで、以前の自分に戻ってしまったような。
クラス棟を後にした時、重森と遭遇した。
いつもの仲間に囲まれて、口先だけで会話に応じている……ように見える。
その目の奥、未だ仄暗い陰を湛えてはいるものの、いつかのような悪魔的な闇は見られない。ご多分に漏れず、重森も右川どころじゃないという事だろう。
重森が視界から消えた。
俺も、静かにその場を立ち去る。
期末も迫った6月最後の日の事である。
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