春を待つ君に、優しい嘘を贈る。
* * *

ああ、まただ。

また、あの男の子が私のお気に入りの場所に…秘密の場所に来ている。

たった今漏らした言葉は、心の中で呟いたのか、声に出したのか覚えていない。けれど、恐らく後者だと思う。

彼と、目が合ったから。


「――…君は?」


私はごくりと唾を飲み込み、ドアノブからそっと手を離した。

鈍い音を立てながら、扉が閉まっていく。扉の向こうの世界から完全に遮断された瞬間、私の肺はようやく正常に動き始める。


「…あなたこそ、誰ですか?」


そう問うと、彼は無言で目を逸らした。

何か言っていたような気がするけれど、一際強い風が吹いたせいで何も聞こえなかった。

視界の端に映っているアネモネが、彼の代わりに離すかのように揺られている。

春の花。風に乗りやって来る甘い香りにくすぐられ、思わず顔がほころんでいくのを感じた。


「…変な子だね」


「え?」


会話をする意思も素振りも見せなかった彼が、いきなりそう言った。

どうして私を変だと思ったのだろう。何かおかしなことをしただろうか。
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