還魂―本当に伝えたかったこと―
***

 その日の夜、寝ている私を突然の動悸が襲った。まるで全速力したあとのようなそれに、胸を押さえて起き上がる。

 息を切らしながら嫌な汗を拭うと、赤い何かが目の前を横切った。

「なっ何っ!?」

(幽霊とか、そんな類い? だけど気配が明らかに違う。しかもこの禍々しさは、覚えがあるものだ――)

「選ばれし人間って、本当に厄介よね」

 暗闇でもわかる、赤い色した長髪の女性が私を見下していた。身に着けているものはシルバーの服装と同じ、体を覆う真っ黒い衣装だった。

「死神に名前をつけて、ペット扱いする気分はいかがかしら?」

 動悸でつらそうな私の顔を覗き込むように見ると、色っぽく口角を上げてせせら笑う。

「私はあのコと同じ死神、専門は腹上死。何なら彼氏を、あの世に導いてあげましょうか?」

 どこか、サービスマンのような口調で訊ねてきた。

「……結構です」

 もちろん速攻で断る。美人な死神に殺されるなら、男として本望かもしれないけど。

「私が傍にいて普通にしてられるなんて、やっぱり凄いのね」

「心臓がさっきからバクバクして、正直つらいです」

「私がいるだけで、普通の人間は気絶するものよ。アナタってば凄いって」

 褒められても嬉しくない。しかも何でこの人、ここにいるんだろう?

「何でって、あのコの仕事を邪魔しようとしてる、アナタを説得しに来たの」

(ああ、この人にも、心の中が筒抜けなんだ)

 額から流れる冷や汗を右手で拭いながら、思いきって口を開く。

「私は、死なせたくない人がいるんです。自分の命をかけても……」

「この仕事が失敗したら、あのコは消されてしまう運命なのよ。アナタと同じく私も、大切なあのコを何とかしたいの」

 シルバーの運命――消されてしまうってホントなの!?

 更に高まった動悸を抱えながら、目を大きく見開いて赤髪の死神を見つめた。

「あのコを一人前の死神として、私が育てたの。あの失敗がなければ、こんな心配をしなくてすんだのに……」

「失敗?」

「死神にとっては、昨日のような話。人間にしたら、昔話になるのかしらね」

 カーテンの隙間から入ってくる月明かりに視線をうつし、切なげに瞳を揺らしながら二の句を継げる。

「あれは20年くらい前だったかしら。あのコはとある車に憑いていた。いつものように仕事をするために、崖道で大鎌を振ったの」

 鮮やかな手さばきで大鎌を操るシルバーの姿が、容易に想像ついた。『俺は俺のために仕事をしなければならない』と言いきった彼の姿を、ぼんやりと思い出す。

「あのコの仕事で車は崖から転落、車内にいた人間2名が死ぬ予定だった」

「…………」

「なのにあのコは車内にいる男に頼まれて、子供を助けてしまった。その子どもが、今のあのコの対象なのよ」

「洸が?」

「20年前死ぬはずだった男の子を、人生の絶頂期に狩るように命令が出てる」

 その言葉に、両手で口元を押さえた。

「あのコは一度失敗しているから、その失敗を自分の手で何とかしなければならない。さもないと――」

「シルバーは、この世から消されてしまう」

 事故は起こさなければならないと言っていた。過去の過ちを、自らの手で決着をつけるために。

「アナタ、死神ってどんな存在だと思う?」

「そうですね、死を司る神様でしょうか」

 調べた本に書いてあったまんまの答えを告げたら、彼女は静かに首を横に振る。

「神様なんて、大それた者じゃないわよ。以前は人間だったんだから」

「人間っ!?」

「しかも、自殺して死んだ魂を死神に転生させて、こうして仕事をさせているの。命の重さを、自らの手で知るために……」

「シルバーが言ってた。この世でやっちゃいけないのは、自ら死ぬことだって」

 そう言うと、やるせない表情をした赤髪の死神。

「仕事をする度に思い知らされるわ。何て馬鹿なことをしたんだろうって。一部の死神はそれに耐えきれなくなって、仕事を放棄したり失敗して消されているわ」

「……壮絶ですね」

「自分が犯した罪ですもの、当然よね。私もあのコもしっかり受け止めて、きっちり仕事をしていたのに、どうして失敗してしまったのかしら」

 長い赤髪をかきあげながら、窓の外を見る。

「ベッドに刺しておいた大鎌が動き出したわ。仕事の時間ね」

 目を伏せて静かに言うと、シルバーが帰り際に見せた切なそうな顔をしながら私を見下す。

「だからお願い、あのコの仕事の邪魔をしないでちょうだい。アナタなら他にも、いい男が寄ってくるわよ」

 言いたいことを告げ、煙のように赤髪の死神はその場から消えてしまった。

「他にもいい男って……。洸はこの世で、ひとりしかいないのに」

 どうにもつらくなり、布団を両手で握り締める。

(あの人も私も同じだ、失いたくない人がいるってこと。でもこれは、ワガママなんだろうな――)

 またあのつらい思いをしたくないという気持ちが、自分の中に支配しているのだから。

 どうしていいか分からず、泣きながらこの夜を過ごした。

 次の日、残業を終え8時過ぎに洸の自宅前に向かった。洸とシルバー、両方を救う手立てはないかなぁと自分なりに考えていた。

 いつもの角を曲がって顔を出した私に、月を見ていたシルバーが気がつく。

「ヤツなら自宅にいるぞ」

 そう言うと、睨むように私をじっと見つめた。

「キサマ、あの女に会ったのか?」

「……うん。赤い髪をした死神ね」

 私が言うと、チッと舌打ちする。どうやらまた心の声が聞こえたらしい。

「あのねシルバー、仕事が失敗したら消されてしまうって話は本当なの?」

 隠しても無駄だと悟り、思い切って訊ねてみた。

「当然だ。2度の失敗は許されない」

「どうして、小さい洸を助けたの?」

 私が見る限り、いつも冷静なシルバー。一時の感情に流されるようには、どうしても見えなかった。

「分からない。気づいたら子供を抱いて、崖の上に立っていた」

「赤髪の死神は、男に頼まれて子供を助けたって言ってたよ」

「覚えていないと言ってるっ! しつこいぞ人間」

 昨夜聞いたことをそのまま言うと、珍しく声を荒げた。気まずそうに私から視線を外して、切なげな表情を浮かべたまま、月を見上げる。

「これでキサマも分かったろう。俺は俺のために仕事をしなければならない。だから邪魔をするな」

「シルバー……」

 その言葉に、何と言って声をかけたらいいか分からなかった。

「人間に同情される覚えはない。キサマはヤツが死ぬ日でも、指折り数えていろ」

 吐き捨てるように呟く。

「洸が事故る日って、いつなの?」

 シルバーの台詞に、思わず大声で聞いてしまった。

「何か外で声がすると思ったら千尋じゃないか、どうしたんだよ。誰と喋ってんだ?」

 自宅から顔を出した洸が、不思議そうな顔をして私を見る。

「洸……」

「何か、心配事でもあるのか?」

 様子が変なを心配したのか、わざわざ外に出てきてくれた。

「あのね……」

(正直に言ってしまおうか。でもこんな話を信じてくれるかな?)

 躊躇して俯いた頭を優しく撫でてくれる洸に、思い切って告げようと顔をあげた。すると後方で何故か嬉しそうに笑ってる、シルバーとばっちり目が合った。

 言っても大丈夫……?

 そう心で思ったら、印象的な瞳を細めてますます微笑む。

 普段はしかめっ面しかしない、死神が微笑んでいる。もしかすると、何かあるのかもしれない。それは悪いことなのか喜ぶことなのかは分からなかったけど、勇気を出して口を開いてみた。

「あのね洸、信じられないと思うんだけど、このバイクには死神が憑いてるの」

「は!?」

「だからこれに乗ると、近いうちに事故に遭うかもしれなくて――」

 告げている内容にいたたまれず顔を伏せると、目の前にいる洸が深い溜め息をついた。

「やっぱ……俺じゃ信用ないんだな」

「洸?」

 その声に驚いて顔を上げると、今度は洸が俯いていた。

「加藤先輩に比べたら、俺なんて……」

「何を言ってるの? 洸と玲さんを比べたことなんてないよ。ホントに、このバイクには」

「いいや、比べてるって! 感じるんだ。千尋はいろんなことを、加藤先輩と比較してる。……俺が事故るかもしれないと思って、バイクに乗るのを止めたいんだろ。だからそんな嘘までついて」

「ホントに死神が憑いてるんだよ! 私には視えるの」

 洸の肩を揺さぶったら、両手を掴まれて振りほどかれた。

「いつまで、比較され続けたままなんだろ。お前の心の中にいる加藤先輩を追い出すのには、どうしたらいい?」

 眉根を寄せ、ぎゅっと目を閉じて辛そうにしている洸の姿に、しくしくと心が痛んだ。

「わりぃ、今すぐどうこうできる問題じゃないよな。だけど……しばらくお前に会うのを止めるわ」

「どうして?」

「これ以上、恰好悪い姿を見せたくないからさ。今の俺は醜態晒しまくりだろ」

 顔に手をあてて、参ったという仕草をする。

「ゴメン、頭冷やしてくる……」

 そう言い残し、逃げるように家の中に戻ってしまう。閉じられた玄関の扉が洸の心の拒絶のようで、自分からは何も言えなかった。

「ヤツの心には、キサマ以上に加藤という男が残っている。女は薄情ということだな」

 私を、嬉しそうに見るシルバー。

「何でそんなに嬉しそうにしてんのよ。こっちは、落ち込みまくってるっていうのに……」

「ずっと加藤に囚われているのは自分だと気づけるかどうかが、ヤツの死期に関係する」

「どういうこと?」

「今回の仕事は、ヤツの人生の中の絶頂期で狩ることだ。このまま別れれば、多少なりとも長生きができるかもしれない」

(確かに……。だからシルバーは仲違いさせるのに、わざと笑顔を作っていたの?)

 大きく目を見開いてシルバーを見ると、少しだけ頬を赤くして、プイッと横を向いた。

「それでも、仕事はきちんとしなければならない」

 どこかぶっきらぼうに言う口調に、思わず笑ってしまった。

「ねぇ洸の命を何とかするのに、私の命を使えないのかな? 事故っても、死なない場合だってあるんでしょう?」

「……確かにな」

「事故らなきゃ、シルバーだっていなくならないんだし」

「キサマは強欲な人間だな。死神の俺まで救おうと考えるなんて」

 視線を伏せながら、眉根を寄せて口を開く。

「だって、私のせいで誰かがいなくなるのは嫌なものだよ」

「やはりな……結局は自分のためか。傲慢なお前らしい」

 自嘲的に微笑み、傲慢だとバカにした私の顔を横目で見る。その視線は最初に目が合ったときのものとは、明らかに種類が違うものに感じた。

「洸……」

 何となく優しさを感じる視線から、洸の自宅の扉に視線をうつした。

「ヤツのことはしばらく放置しろ。自分を見つめ直すには、いい時期だ」

「大丈夫かな?」

 このまま自然消滅しないかと、心配しながら告げてみた。

「キサマが関わると、余計ややこしくなる。ああ見えてヤツは意外と強い。落ち着いてしっかり考えれば、答えはおのずと出るだろう」

「そっか。シルバーは、洸の心の中も見られるんだもんね」

 羨ましく思いながら言ったら、面白くなさそうな顔した。

「すべて知るというのは、いいことも悪いこともひっくるめて受け止めなければならない。キサマには無理な話だな」

 淡々と語る言葉に重みを感じた。きっといつも、いろんな人間の心の声を読んでいるから、こういうことが言えるんだろうな。

「洸のこと……宜しくお願いします」

「頼まれても面倒は見ない」

 さっきの笑顔はどこにいったのやら。いつものしかめっ面に戻ってしまった。その姿にきちんと会釈してから、洸の自宅前に立つ。

 今までの私の行動で、比べていたところがあったのかもしれない。

 そんな反省しながら自宅に帰ったのだった。
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