異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。
 彼にはふたりのお兄さんがいたらしいのだが、今は遠くの地で暮らしていること。特に二番目のお兄さんは半分しか血が繋がっていないのに、本当の兄よりも自分のことを可愛がってくれたのだと恥ずかしそうに言っていた。

 きっと、二番目のお兄さんのことが大好きだったのだろう。でも、面会では一度も見かけたことがない。

 お願いだから、少しでもいい。心も身体も弱っている彼に顔を見せてあげてほしいと、このときほど願ったことはなかった。

 
 勤務終了まで、あと十五分に迫った。午後五時四十五分、夜勤者へ日勤で起きた出来事を申し送り、看護記録も書き終えた私は帰る前に湊くんの顔を見ようとナースステーションを出た。

 廊下に出ると夕食が乗ったワゴンが停まっていたので、【九重(ここのえ)湊】のネームプレートが乗った食事のトレイを手に病室の前にやってきたのだが、ノックをしても返事がない。
 
「湊くん?」

 なんとなく、嫌な予感がした。この仕事についてから、こういう感覚が当たることは多々ある。でも、今回ばかりは勘違いであってほしいと心の底から願った。

 恐る恐る足を踏み入れると呼吸にしては早すぎる息づかいが聞こえてきて、私は病室の端に寄せてあったオーバーベットテーブルの上にトレイを置く。全身の血が引いていくのを感じながら、湊くんに駆け寄った。

「湊くん!」

 人が亡くなる数十分前まで、呼吸は生命を維持しようとして早くなる。私はすぐさまベットの手すりに巻きつけてあったナースコールを押して、家族への連絡と主治医への連絡を頼み、応援を呼ぶ。

 彼はDNRといって、心肺蘇生はしないでくれという意思表示をしている。すなわち、どんなに呼吸器をつけて、昇圧剤を使って、胸骨圧迫をしてあげたくても、延命処置を希望していない彼にはしてあげられない。

 こういった場合は家族が到着するまでの延命を頼まれるケースがほとんどなのだが、湊くんの家族はそれすらも望んでいないのだ。

 これほど、もどかしいことはない。救えなくても、命の時間は伸ばしてあげられる。その力が私にはあるのに、彼を生かすことが許されないのだから。

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