異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。
「ひとりで逝くなんて、ダメよ……っ」

 私は湊くんの手を強く握る。伝わってくる体温は、こぼれおちていく彼の命そのものだ。

 私は「そばにいるからね」と何度も声をかけた。

 人は呼吸が止まっても、耳だけは最後まで生きているといわれている。だから私はこの声が届くようにと、湊くんの名前を呼び続ける。

 そのとき一瞬だけ、手を強く握り返された気がした。驚いて湊くんの顔を見つめると、固く閉じていた目が開く。

「湊、くん……」

 それだけで、私は理解した。患者は家族に見守られて旅立てる者ばかりではない。身寄りがなかったり、家族はいても良好な関係が築けていない人は湊くんのように最後の瞬間もひとりだ。何度も何度も、この瞬間に立ち会ってきたからわかる。

 ――これが、湊くんの旅立ちのサイン。

「あり……が、と……」

 それが、湊くんの最後の言葉だった。
 彼は微笑んで、それから瞼を閉じる。その時間は一瞬だったはずなのに、私にはひどく長い時間に思えた。


「湊くん、頑張ったね」

 窓の外に浮かぶ黄金の油を溶いたような月と床頭台の明かりが、彼の青白い顔を照らす。

 家族には病室の外で待っていてもらい、私は湊くんの死後の処置――エンゼルケアをひとりで粛々と行っていた。

 まずは目や口のケア、洗髪をした。

 死後硬直は一時間以内から始まるので、すみやかに洗面器に張ったお湯にタオルを浸すと身体を拭く。身を清めたら生きている人間と同じように乾燥を防ぐ保湿のローションを塗布した。

 浴衣は左前身頃の縦結びにして着せ、男の子ではあるけれど顔色が悪く見える部分をファンデーションで整える。

 彼の手を胸の上で組ませながら、私は先ほどの怒涛のように過ぎ去った時間を思い出していた。湊くんが私に「ありがとう」と言った後のことだ。

 ゆっくりと呼吸数が減り、ときどき無呼吸になるのを繰り返した彼は最後に酸素を求めるように下顎を大きく上げる下顎呼吸をして、生きる上で必要な息をするという動作を止めた。やがて数分で心臓は拍動を止め、対光反射といって光を当てると瞳孔が小さくなる反射が消失し、散大したままであることを確認した医師が湊くんの死亡を告げた。

 最後の最後まで、湊くんのそばに家族の姿はなかった。その手が冷たくなるまで握り、看取ったのは私だ。

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