異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。
「それはありえない、この心はすでに若菜に捕らわれている」

「っ……長話しすぎたわ。そろそろ寮に戻らないと」

 これ以上は一緒にいられない。目に涙が浮かぶ理由に、私は気づいてしまいたくないのだ。熱く胸を焦がす想いに、名前をつけてしまいたくない。

 ――知ってしまったら、引き返せなくなる。

 そう思った私は、彼に背を向けて治療館へと戻ろうとした。だが、踏み出せたのはたったの一歩。私は後ろから伸びてきた腕に閉じ込められ、身体の動きを封じられる。

「逃げないでくれ」

 耳元で乞うように囁かれた。掠れているのに、その低くも艶のあるシェイドの声に息を呑む。

「永久にあなたを守らせてほしい。その役目をこの俺に授けてくれないだろうか」

 私を包む甘い香りに思考が鈍る。この腕の中で後先考えずに身を委ねることができたら、どんなによかったか。

 胸に回る彼の腕にそっと触れて、抗いがたい衝動に苦しむ。永久を彼と共に生きていけたのなら、私は元いた世界よりもこの世界を帰る場所と思えるのかもしれない。

 けれど、私は恐ろしいのだ。もしも彼と結ばれたとして、途中で捨てられてしまったら。私はこの異世界での居場所を失い、孤独になる。

 その可能性を捨てきれない私は迷いを振り切るように背筋を伸ばし、前だけを見据える。

「おやすみなさい、シェイド」

 短く早口で告げると、彼の腕の中から逃げ出した。

 私が全力で走っても、戦場で鍛え抜かれた脚力を持つ彼には簡単に追いつかれてしまうだろう。でも、一向に追いかけてくる気配はない。その事実に安堵したのか、傲慢にも寂しさを覚えたのか、私は溢れる涙を止めることができずに足だけを動かした。


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